殉死
『こころ』(夏目漱石)下「先生と遺書」55~56 明治45年(1912)。夏の盛りに明治天皇が崩御された。「先生」は、「明治の精神は天皇とともに終わり、その後に生き残っているのは時勢遅れだ」と奥さんに言う。奥さんは笑って、「では殉死でもなさったら」とからかう。1ヵ月余り後、御大葬の夜に乃木大将夫妻が殉死し、それから2~3日して、「先生」は自殺の決心をする〔*「先生」の奥さんの名は「静」、乃木大将の妻の名は「静子」である〕。
『将軍』(芥川龍之介)4「父と子と」 大正7年(1918)10月の或る夜。中村少将と大学生の息子が、N将軍の殉死について語り合う。N将軍が自殺の前に写真をとった心理に、息子は疑問を呈する。「まさか死後その写真が、どこの店頭にも飾られることを、――」。「閣下はそんな俗人じゃない」と中村少将は反駁する。しばらく気まずい沈黙が続いた後、少将は「時代の違いだね」と言う。
★1b.天皇や王のあとを追って、多くの人々が殉死する。あるいは殉死させられる。
『老いたる素戔嗚尊』(芥川龍之介) 素戔嗚(すさのを)が、何人かの妻の中で最も愛した櫛名田姫が病死した。素戔嗚は黄泉路の妻を慰めるべく、妻に仕えていた11人の女たちを、埋め殺した。部落の老人たちは、ひそかに素戔嗚の暴挙を非難した。「11人! 第一の妃が亡くなられたのに、11人しか殉死させないという法があろうか? たった皆で11人!」〔*『古事記』・『日本書紀』には、櫛名田姫の病死や女たちの殉死の記事はない〕。
『魏志倭人伝』(『三国志』巻30・『魏書』30「烏丸鮮卑東夷伝」) 正始8年(247)前後に、卑弥呼(「ひみこ」あるいは「ひめこ」)が死んだ。直径百余歩(150メートルほどか)の大きな塚が作られ、男女の奴隷百余人が殉葬された〔*卑弥呼の死後、倭国は内乱状態になった。卑弥呼の同族の娘・13歳の臺與(とよ)を王に立てると、ようやく国は治まった〕。
『三国史記』巻17「高句麗国本紀」第5・第11代東川王22年 9月に東川王が薨去した。多くの近臣が「殉死したい」と願ったが、次王(=第12代中川王)がこれを禁じた。葬儀の日に、東川王の墓所に来て殉死する者がはなはだ多かったので、柴を伐って彼らの死体を覆った。そこでこの地を柴原(さいげん)と名づけた。
『日本書紀』巻6垂仁天皇28年11月 垂仁天皇の母の弟倭彦命が没した時、近習の者全員を生きたまま陵墓の周りに埋めた。日を経ても彼らは死なず、昼夜泣きうめいたが、やがて死んで腐敗し、犬や鳥が集まって喰った。天皇は心を痛め、「以後は殉死を止めよ」と群卿に詔した。
『火の鳥』(手塚治虫)「ヤマト編」 ヤマトの大王が死に、女官・兵士・労役者あわせて80人が、アミダクジで殉死者に選定される。大王の息子タケルも、殉死に反対したため、80人とともに生き埋めにされる。しかし彼らは、火の鳥の生き血を少しなめたので、すぐには死なず、地面の中で「殉死反対」の歌を1年にも渡って歌い続ける。
★1c.インディアンの首長が死ぬと、黒人奴隷が一人殉死させられる。
『赤い葉』(フォークナー) 大勢の黒人奴隷を所有するインディアン部族があった。首長が死ぬと、身の回りの世話をしていた黒人奴隷が1人、殉死する慣わしだった。先代の首長が死んだ時、奴隷は逃げた(「3週間逃げ続けた」とも「3日でつかまった」とも言われる)。このたび当代の首長が死に、先代の時同様、奴隷は逃亡した。彼は6日後に捕らえられ、追手のインディアンは「お前はよく逃げた。恥じることはないよ」と言った。
★2.妻への殉死。夫への殉死。
『千一夜物語』(マルドリュス版)「船乗りシンドバードの冒険・第4の航海」第302~304話 シンドバードは漂着した島で美しい妻を得るが、やがて妻は病死する。その国では、夫婦の一方が死ぬと、もう一方も一緒に墓に入って殉死するならわしだったので、シンドバードも7個のパンとともに、地下の穴に閉じ込められる。シンドバードは、新たに穴に入れられる人々を殺し食糧を奪って生き延び、抜け穴を見つけて脱出する。
『八十日間世界一周』(ヴェルヌ) インドの美女アウダは老人王に嫁ぐが、3ヵ月後に夫王が死ぬ。ならわしにしたがい、アウダは夫に殉じてともに火に焼かれることになる。世界1周旅行中のイギリス紳士フォッグが、捕らわれのアウダを見て救い出し、彼女を伴って旅を続ける。イギリスへ帰国後、フォッグはアウダと結婚する。
*夫が死ぬと、妻は山に棄てられる→〔親捨て〕1aの『列子』「湯問」第5。
*夫のあとを追って殉死しようとした妻が、別の男と関係を持ち、殉死をとりやめる→〔死体〕11の『サテュリコン』(ペトロニウス)。
*死んだ夫の妻でなく愛妾が、夫と一緒に葬られる→〔蘇生〕2cの『太平広記』巻375所引『五行記』。
★3.殉死を許可されなかった人。
『阿部一族』(森鴎外) 藩主細川忠利は死去に際し、家臣18人に殉死を許すが、以前から気の合わぬ側近の阿部弥一右衛門には、これを許可しなかった。やむなく生き残った弥一右衛門は、「臆病者」と噂されているのを知って、腹を切る。しかし無許可の切腹ゆえ、家俸禄分割の処分を受ける。長男権兵衛がこれに抗議して、忠利一周忌の場で髻を切り、縛り首になる。次男以下の阿部一族は屋敷に立てこもり、討手と闘って全滅する。
『聖衣』(コスタ) ローマの護民官マーセラスは、イエス=キリストの処刑を執行した。処刑後、彼はキリストがまとっていた聖衣に触れて、心身を病む。それは聖衣のたたりではなく、彼自身の良心の呵責による病いであった。マーセラスはキリストの教えに帰依し、ローマ帝国への反逆者として裁判にかけられる。彼は殉教を決意し、恋人ダイアナ姫とともに処刑される。
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