本書の概略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 17:12 UTC 版)
ドイツ語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Manifest der Kommunistischen Partei (1848) ドイツ語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Manifest der Kommunistischen Partei (1850/51) 日本語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。共産党宣言 フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Manifeste du parti communiste 英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Manifesto of the Communist Party ロシア語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。Манифест коммунистической партии 本書は次の四つの章からなる。 第1章「ブルジョワとプロレタリア」 第2章「プロレタリアと共産主義者」 第3章「社会主義的および共産主義的文献」 第4章「種々の反対党に対する共産主義者の立場」 エンゲルスは本書の全体像について、1883年のドイツ語版序文のなかで「『宣言』を貫く根本思想」として以下の諸点を挙げた。 経済が社会の土台であること すべての歴史は階級闘争の歴史であること プロレタリア革命は一階級の解放でなく人類全体の解放であること なお、マルクスにもエンゲルスにも経済的土台を上部構造決定の唯一の契機とする考え方はない。 『宣言』冒頭の有名な一文「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」は、ローレンツ・フォン・シュタインの著作『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』(1842年)中のフランス共産主義に関する文章に酷似している。マルクスはこの著作を大変な熱意で読んでいるが、マルクス自身がここから直接にヒントを受けて「共産主義=幽霊」としたと断言しているわけではない。しかし『宣言』にはシュタインの著作に影響を受けた共産主義者同盟幹部の職人革命家たちの政治的な意識や見地が反映されている。 第1章は、「これまでの社会のすべての歴史は階級闘争の歴史である」という有名な章句で始まり、ブルジョワジーの時代(まだこのときはマルクスもエンゲルスも「資本主義的生産様式」という言葉を使っていない)は生産と社会をどう変えてしまったかを述べ、現代は生産力と生産関係の矛盾が激化した社会革命の時代であるとして、プロレタリアートという勢力がその革命を担う、という内容を述べている。また一方では商人資本・産業資本へと展開されるヨーロッパ各国の経済発展とその生産関係の変革を述べながら、ブルジョワ階級の政治的支配者としての台頭、そしてそれによる近代的代議制国家の確立、政治的意志の中央集権化の過程について述べている。賃金制による労働の本質の変貌、反動主義者も落胆する世界市場の国の独自性を奪う世界主義的性質についても述べられる。さらに社会的諸関係の変化から、一個の“商品”として現れる労働力の存在へと議論が発展していく。「暴力によるブルジョワジーの転覆」という内容もここに登場するが、ここの論旨はプロレタリアートによって「競争による孤立化の代わりに、協同(Assoziation)による革命的団結を作り出す」ことにあると言える。 第2章は、共産主義者の運動の目的・性格づけが行われている。正義者同盟をバブーフ的なものからマルクス的なものへ変えるという当初のねらいからすれば、重要な意味をもつ箇所だった。とくにあらゆる財貨を共有し、完全平等を図るというバブーフ的な共産主義(そして今日でも広く共産主義はそういうものだと思われている)を「粗野な平等化」(第3章)と批判し、所有一般の廃絶ではなく「ブルジョワ的所有の廃止」が目標化された。ブルジョア的所有に対しては「専制的な侵害」なくしてプロレタリアの支配は達成できないとし、例として所得税の強力な累進課税、相続権の廃止、亡命貴族の財産没収、土地や銀行から工場などの国有化、生産手段の共有化、農業と工業の融合、児童労働の廃絶、無償の義務教育を挙げ、プロレタリアが支配階級として組織化された暁にはやがて自ら階級支配を廃し、国家権力も「政治的性格を失う」こと、そして「ひとりひとりの自由な発展が、すべての人々の自由な発展の条件となる、一つの共同体が現れる」という見通しを述べた。 第3章はさらに次の3つの節に分かれて構成されている。 第1節「反動的社会主義」 a.封建的社会主義 b.小ブルジョワ的社会主義 c.ドイツ社会主義または「真正」社会主義 第2節「保守的社会主義またはブルジョワ社会主義」 第3節「批判的ユートピア的社会主義および共産主義」 ここでは18世紀から19世紀にかけてヨーロッパに存在した多様な社会主義的潮流をどうみるか、という問題にあてられている。当時は「社会主義」「共産主義」を名乗ることが流行のように行われていたので、さまざまな流派が存在していた。その主な検討・批判の対象は第1節cのドイツの真正社会主義であり、モーゼス・ヘスとカール・グリューンが名指しで批判される。また、小ブルジョワ的社会主義(第1節b)や空想的社会主義(第3節。サン=シモン、フーリエ、プルードン等)について、その歴史的意義を積極的に示すと共に、その限界が批判的に論じられる。 第4章は、共産主義者ではない政治勢力に対する共産主義者の政治スタンスのとり方である。「一言で言えば、共産主義者は、いたるところで現に存在する社会的・政治的状態に対するどの革命運動をも支持する」とあるように、ブルジョワジーが中心の運動であってもそれが民主主義や社会発展にかなっていれば支持をすべきという立場を表明した。つまり「ドイツがブルジョワ革命の前夜にある」とした上で、共産主義者はドイツに対してプロレタリア革命ではなく、ブルジョワ革命を展望すべきとしているのである。 末文は「共産主義者は自らの意図や信条を隠すことを軽蔑する。プロレタリアはこの革命において鉄鎖のほかに失う何ものをも持たない。彼らが獲得するものは世界である。万国のプロレタリア、団結せよ」という有名な章句で閉じられる。
※この「本書の概略」の解説は、「共産党宣言」の解説の一部です。
「本書の概略」を含む「共産党宣言」の記事については、「共産党宣言」の概要を参照ください。
- 本書の概略のページへのリンク