木造兜跋毘沙門天立像とは? わかりやすく解説

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木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 3527
枝番 0
指定年月日 2005.06.09(平成17.06.09)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 鎌倉
年代
検索年代
解説文:  兜跋毘沙門天像の一例であるが、ほとんどの遺品平安時代集中しているなか本像は鎌倉時代造立の珍しい作例である。兜跋毘沙門天わが国での根本像である東寺像(国宝)に比べると、後補に替わっている宝冠除いて、歯を出さず閉じた口、高く挙げられ右手腰帯に挿まれた天衣大きな相違点で、そのほかに装身具などに多少違いがある。そのうち特に右手挙げるのは、当初天衣右肩掛けていたと復元される表現対応する動勢推定される。他に若干小異はあるものの、それら以外は細部まできわめて忠実に倣っている。東寺像において練物使われている耳〓、頸下の花飾胸甲中央から腰に至るX字状の瓔珞中央の花飾等の部位が、本像においては銅製鍍金となり、その他花飾などに金具使用が多いので、東寺像を模すにあたって練物部位その他の装身具金具表現したことがうかがえる
 やや面長しもぶくれ気味の面相は、静岡願成就院神奈川浄楽寺運慶作両毘沙門天像(重文)に見られるのが早い例で、以後慶派仏師受け継がれ毘沙門天像の造形的特徴である。東寺像よりも頭部大きプロポーション安定感のある整った体型ながら、獅噛や二鬼神立体的で力強い表現は、鎌倉時代初め慶派仏師作であることをものがたる。
 本体の裾内側上下を割矧ぐ技法割り裾)は平安時代後期から現れ始めるもので、本像では割りとともに彫刻の便と傾き調整図られているが、そのほかに、像内納入もまた目的一つだったことが推測しうる。
 本像は青蓮院大日堂伝来し今は本堂熾盛光【しじょうこう】堂)安置だが、本来の安置堂宇については伝えられていない青蓮院慈円慈鎮)により復興されて間もなく最勝四天王院の建立に伴い吉水よしみず】へ移転し、そこに熾盛光堂建永元年一二〇六〉供養)および大懺法院(承元二年〈一二〇八〉供養)が設けられた。両堂とも本尊の周り毘沙門天像が祀られていたことが文献から知られるので、本像はいずれかの堂宇にあった推定される吉水の房は建保四年(一二一六)と承久二年(一二二〇)に火災遭い貞応元年一二二二)に三条白川に戻るが、鎌倉時代初めとみられる本像の作風から、吉水移建時の建永度または承元度の造立可能性が高い。白河坊はのち十楽院に移されたが、安置仏像も移座されたと推定され、現在に及んでいる。
 青蓮院旧蔵考えられている米国・バークコレクションの不動明王坐像は、醍醐寺快慶不動明王坐像建仁三年一二〇三〉、重文)と図像的に一致し作風も近いので、同じころ、快慶周辺仏師の製作が推定されている。バーク像が本兜跋毘沙門天像と一具だったかどうかはともかく、同時期、同系統の仏師作とみなして誤りいだろう吉水に坊があったころ、青蓮院造像快慶登用されたことが文献わかっているが、本像はそれと同じ環境での慶派仏師による造立考えられるだけでなく、京都におけるこの期造像うかがわせる貴重な実作例でもある。

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 2112
枝番 00
指定年月日 1918.09.12(大正7.09.12)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 3087
枝番 00
指定年月日 1959.12.18(昭和34.12.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 1271
枝番 07
指定年月日 1911.04.17(明治44.04.17)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 3498
枝番 0
指定年月日 2002.06.26(平成14.06.26)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 2躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文:  兜跋毘沙門天称される地天女に支えられて立つ形式になる等身毘沙門天像二躯である。縁起によれば享保年間一七一六三六)に紀州日置浦(現和山県西牟婁郡日置川町)において薬師如来像とともに海中より引き上げられ同地大野郷(現日置川町大古長寿寺現存)に安置されていたが、元文元年一七三六)に当地もたらされたという。
 ともに針葉樹材製で、頭躰幹部および地天女の大略通して一材より彫出し、躰部背面より内刳を施す。腕部は肩で矧ぎ、また地天女の足部前面に薄材を矧ぎ足す。表面現状古色呈しており、当初仕上げどのようであった明らかでない
 その一像の背面板や両足背面地天女の左肩外側部など、その二像の後頭部右半、右手首先、上半身背板などが後補となり、またその一像の背面朽損著しいが、総じてともに当初像容はよくとどめられている。
 その一像は中肉体型で、切れ味良い彫り口により像容刻み出される大振り目鼻立ちによる忿怒相は生彩富み身にまとう衣や甲の表出も的確である。その二像はその一像に比べて太造りで、彫り口にいささか鋭さを欠くが重厚な作風示している。細部形式にも相違があり、その一像が炎髪を立て帯喰背皮をつけるのに対しそれらを表さず、また宝冠形式両腕構え異にしている。このように両像の間には形式・表現ともに差異があるものの、その製作年代はさほど隔たらず、ともに九世紀末から一〇世紀初めころとみられる
 兜跋毘沙門天形像平安初期入唐諸家により将来され、平安時代通じて各地製作された。百躯ほどの現存作例確認されており、その像容唐代の製作になる教王護国寺像国宝)を始めとする西域風の甲を付けるものと、地天女に支えられる以外は通常の神将像の姿になるものとに大別される。本像の形姿後者属するが、ともに大袖を著けず裳裾を垂らさない点において、前者との中間的な性格にあるといえよう
 本像は兜跋毘沙門天像として早期のしかも優れた作例であり、この種の像を考えるうえで重要な資料となるものである

木造兜跋毘沙門天立像(毘沙門堂安置)

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像(毘沙門堂安置
指定番号 93
枝番 00
指定年月日 1955.06.22(昭和30.06.22)
国宝重文区分 国宝
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分
年代
検索年代
解説文: 時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 594
枝番 00
指定年月日 1904.02.18(明治37.02.18)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 872
枝番 00
指定年月日 1937.05.25(昭和12.05.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 1103
枝番 00
指定年月日 1913.04.14(大正2.04.14)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 1783
枝番 00
指定年月日 1908.01.11(明治41.01.11)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品

木造兜跋毘沙門天立像

主名称: 木造兜跋毘沙門天立像
指定番号 1789
枝番 00
指定年月日 1908.01.10(明治41.01.10)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 彫刻
ト書
員数 1躯
時代区分 平安
年代
検索年代
解説文: 平安時代作品
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