平安京羅城門とは? わかりやすく解説

平安京羅城門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 00:23 UTC 版)

羅城門」の記事における「平安京羅城門」の解説

平安京羅城門は、現在の京都府京都市南区唐橋羅城門町位置する位置)。規模は、『拾芥抄』などでは桁行7間・梁間2間で二重閣とするが、裏松固禅『大内裏図考証』では桁行9間とする。 文献上では、『日本紀略』において弘仁7年816年8月16日夜に大風倒壊したと見えるほか、その後再建された門も『百錬抄によれば天元3年980年7月9日暴風雨倒壊した見え以後再建計画上がる実際に再建されることはなかった。ただし『今昔物語集』羅城門上層ニ登リテ死人ヲ見シ盗人ノ語」によれば倒壊以前にはすでに荒廃しており、上層では死者捨てられていた(後世芥川龍之介の『羅生門』の題材)。『小右記』では、11世紀前半頃に藤原道長法成寺建立に際して礎石持ち帰った見え当時には礎石のみの状態であったそのほか羅城門の鬼に関する謡曲羅生門」などの様々な怪奇譚が知られる羅城門遺構は、現在までに確認には至っていない。現在羅城門跡付近に残る「唐橋」の地名は、羅城門前の溝にけられた因むとされる。なお、東寺木造兜跋毘沙門天立像国宝)や三彩鬼瓦国の重要文化財)は、元は平安京羅城門にあったものと伝えられる毘沙門天像の安置について、『雍州府志』では唐の西蕃侵攻平定故事因むとするが、同書では「八臂毘沙門天像」とあって東寺のものとは異同しており、詳細明らかでない。また三彩鬼瓦については、大内裏豊楽殿出土のものと同笵であることが判明している。 羅城について、『延喜式』では城壁ではなく「垣」と見え基底部幅6尺とする。また『大内裏図考証』では京域周囲黒線引かれることなどから、土塁・溝等の存在推測される近年の発掘調査のうち、2018年平成30年)の京域東端東京極大路)における発掘調査では、羅城規格沿う幅の整地層は認められたが、城壁自体確認されていない2019年令和元年)の京域南端九条大路)の西寺跡西側における発掘調査では、九条大路南側南北幅約3メートル・高さ約0.15メートル測る砂礫・土を交互に盛り固めた高まり検出されており、これが羅城築地塀か)の基底部にあたると推定されるとともに当該調査地では羅城外側犬走側溝存在しなかったことが確認されている。 木造兜跋毘沙門天立像東寺国宝羅城門の鬼鳥山石燕今昔百鬼拾遺羅城門の鬼退治月岡芳年 右京九条二坊四町付近羅城遺構手前羅城基底部、右奥に九条大路

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