『大内裏図考証』とは? わかりやすく解説

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『大内裏図考證』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 04:30 UTC 版)

裏松光世」の記事における「『大内裏図考證』」の解説

当初和装14冊。構成については、10程度合冊一まとめにしているものなど著作者が諸巻について検討加えておらず、現存伝本冊数構成まちまちである。天明8年1788年上梓寛政9年(1797年)朝廷献上藤原貞幹助力したという。「故実叢書所収。「増訂故実叢書所収大内裏研究第一の書。平安京左右両京区画制度離宮摂関邸第などから書き始めて大内裏構内の諸殿舎に関して綱をあげ、目をわかち、古図旧記掲げて例証し詳しく解説する朝堂院付録として大嘗宮に関する考証載せ紫宸殿清涼殿付録として両殿内調度を記すなど、関係事項網羅しすこぶる用意周到である。 ちょうど刊行された年に発生した天明の大火により皇居炎上したが、寛政2年1790年)、新造内裏古制復することができたのは、光世功績絶大であった。 ただし、大内裏図など一部不備な点があり、天保年間にこれを惜しんだ尾張藩主徳川斉朝の命を受けた内藤広前によって補訂が行われている。 また、橋本義則は光世努力認めつつも、彼が余りにも多く古今書籍参照してしまったために、内裏歴史的変遷内裏何度も火災焼失しており、全く同じ構造建物再建され訳ではない)という視点欠落してしまい、結果的にかつてどの時点においても実在したことのない内裏図が出来てしまったと批判している。

※この「『大内裏図考證』」の解説は、「裏松光世」の解説の一部です。
「『大内裏図考證』」を含む「裏松光世」の記事については、「裏松光世」の概要を参照ください。

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