『大内裏図考證』
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当初和装14冊。構成については、10冊程度を合冊し一まとめにしているものなど著作者が諸巻について検討を加えておらず、現存の伝本の冊数構成はまちまちである。天明8年(1788年)上梓、寛政9年(1797年)朝廷に献上。藤原貞幹も助力したという。「故実叢書」所収。「増訂故実叢書」所収。 大内裏研究の第一の書。平安京左右両京の区画制度、離宮、摂関の邸第などから書き始めて、大内裏構内の諸殿舎に関して綱をあげ、目をわかち、古図旧記を掲げて例証し詳しく解説する。 朝堂院の付録として大嘗宮に関する考証を載せ、紫宸殿、清涼殿の付録として両殿内の調度を記すなど、関係事項を網羅し、すこぶる用意周到である。 ちょうど刊行された年に発生した天明の大火により皇居が炎上したが、寛政2年(1790年)、新造内裏が古制に復することができたのは、光世の功績が絶大であった。 ただし、大内裏図など一部に不備な点があり、天保年間にこれを惜しんだ尾張藩主徳川斉朝の命を受けた内藤広前によって補訂が行われている。 また、橋本義則は光世の努力を認めつつも、彼が余りにも多くの古今の書籍を参照してしまったために、内裏の歴史的変遷(内裏は何度も火災で焼失しており、全く同じ構造の建物が再建された訳ではない)という視点が欠落してしまい、結果的にかつてどの時点においても実在したことのない内裏図が出来てしまったと批判している。
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