平安京遷都後の大安寺とは? わかりやすく解説

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平安京遷都後の大安寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:08 UTC 版)

大安寺」の記事における「平安京遷都後の大安寺」の解説

都が平安京移った後、天長6年829年)には空海大安寺別当補されている。この頃神仏習合進み貞観元年859年)には八幡神勧請し八幡宮(現・元石清水八幡宮)を東塔北側建立している。しかし、仏教東寺延暦寺中心とした密教中心移ったため、宗風次第に振るわなくなっていった。 延喜11年911年)に火災発生して伽藍被害出ている。天暦3年949年)に西塔落雷焼失すると、寛仁元年1017年3月1日には大火災発生し本尊釈迦如来像東塔残して堂舎ことごとく焼失してしまった。永久4年1116年)までには主要伽藍再建されたが、これ以降はかつての規模取り戻すことはな次第衰退していった。その後興福寺末寺となっている。 永仁6年1298年4月1日西大寺唐招提寺法華寺などと共に将軍家祈祷所とされた。だが、文禄5年1596年)閏7月20日慶長伏見地震本尊釈迦如来像はついに失われてしまい、江戸時代には小さな観音堂1つを残すのみとなった1882年明治15年)、奥山慶瑞、佐伯泓澄によって小堂庫裏建立され大安寺再興されると、1922年大正11年)には石堂猛などによって現在の本堂建てられた。 なお大安寺自身により、学術論文集『南都大安寺論叢』(南都国際仏教文化研究所編、1995年平成7年)と、『大安寺史・史料』(1984年昭和59年)が刊行されている。 当寺の南にはかつての鎮守社であった元石清水八幡宮がある。

※この「平安京遷都後の大安寺」の解説は、「大安寺」の解説の一部です。
「平安京遷都後の大安寺」を含む「大安寺」の記事については、「大安寺」の概要を参照ください。

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