雍州府志
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『雍州府志』(ようしゅうふし)は、山城国(現京都府南部)に関する初の総合的・体系的な地誌。全10巻。歴史家の黒川道祐によって天和2年(1682年)から貞享3年(1686年)に記された。
内容
黒川道祐は安芸国出身の医者であるが、京都で儒学者林羅山に学んで歴史家となった[1]。山城国を中国の雍州になぞらえ、地理、沿革、風俗行事、神社、寺院、特産物、古蹟、陵墓などの章に分けて、山城国に所在する8郡それぞれを漢文で記述している。記述は道祐の現地調査に基づいており、中国の地誌『大明一統志』を模している。
関連文献
- 黒川道祐『雍州府志 近世京都案内』岩波文庫(上)、2002年 - 校訂者の宗政五十緒が上巻刊行まもなく没し、下巻は未刊。
- 立川美彦『訓読雍州府志』臨川書店、1997年
- 立川美彦・国文学研究資料館『京都学の古典「雍州府志」』平凡社、1996年
- 野間光辰『雍州府志』臨川書店、1994年
脚注
- ^ 雍州府志(黒川道祐 著)京都府立総合資料館
外部リンク
- ウェブで閲覧可能。原所蔵者は立命館大学図書館西園寺文庫。
雍州府志(1684年成立)
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「志賀越道」の記事における「雍州府志(1684年成立)」の解説
「東山自り志賀の山越道あり」 「志賀の山越は、山中越の南にあり」 「照高院の東に坂路有り。是れ江州志賀東坂本に赴く道なり、所謂志賀の山越是なり。白川自り行くこと半里山中の宿あり、宿の西路傍に二つの石仏あり。一は江州に向かい、一は城州に向かう」 「北白川自り山中越あり」 「白川山の東南に近江に超ゆる路有り。是を山中越と謂う。又是を今道と謂う」
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