大文字の起源・筆者に関する諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:46 UTC 版)
「五山送り火」の記事における「大文字の起源・筆者に関する諸説」の解説
近い時期に発刊された史料であるにも関わらず、大文字の起源・筆者については史料ごとに差が見受けられる。説の初出順、発刊年順に列記する。 大の字は青蓮院門主が画いたものである。(『洛陽名所集』・『出来斎京土産』) 大の字は三藐院(さんみゃくいん)(近衛信尹(このえのぶただ)を指す)が画いたものである。(『案内者』) 大の字は弘法大師が画いたものである。(『山城四季物語』・『雍州府志』・『都名所車』・『都名所図会』など) 大の字は相国寺の僧・横川景三が画いたという説と、弘法大師が画いたという説がある。(『日次紀事』) 大の字は横川景三が相国寺に対して大の字が正面を向くように考慮して画いたものである。(『菟芸泥赴』) 大の字は足利義政の命により、横川景三と芳賀掃部が画いたものである。芳賀掃部は義政の臣であると同時に横川景三の筆道の弟子でもあった。(『山州名跡志』・『山城名跡巡行志』) 筆者について、史料上の初出は『洛陽名所集』の青蓮院門主説であるが、三藐院説、弘法大師説と続き、横川景三説が登場するまで18年の年差しかなく、発刊時期の近い史料に多くの説が混在している。『雍州府志』では、誰々が画いたという俗説が多く存在していることについて、謬伝(誤って広まった噂話)ではないかとしている。
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