送り火の様子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 07:46 UTC 版)
江戸時代前期以降、京都の文化や地理を記した書籍が好んで発刊されるようになった。これらでは送り火についても取り上げている。これより前の時期、京都における民間の習俗について触れた史料は乏しく、そのため、送り火については江戸時代以降の史料を中心に見るより他ない。 (旧暦の)7月16日の夕刻、あるいは晩に点火する。 その性質から、聖霊の送り火(精霊の送り火)、亡魂の送り火などと呼んでいた。 大文字山の西北の面に大の字の跡があり、それに点火する。多くの史料でこの山について取り上げているが、当時は大文字山という呼称はなく、史料により、如意が嶽、如意宝山(『出来斎京土産』)、慈照寺山(『雍州府志』)、浄土寺山(『日次紀事(ひなみきじ)』)などの差が見受けられる。これらはいずれも同一の山を指していると考えられる。 大の字の跡以外に、妙法、船形(『雍州府志』では船形、『案内者』・『出来斎京土産』では帆かけ舟)にも点火した。妙法については、『日次紀事』などで松ケ崎の山としているほか、『花洛細見図』では大文字山と対になる形で松ケ崎のあたりに「法」の字が描かれている。船形については多くの史料で北山の所在としているが、明確な所在地は記されていない。 左大文字について、史料上の初出は『扶桑京華志』であるが、他山と比較して取り上げている史料の数が乏しい。 鳥居形について、史料上の初出は他の四山より大きく遅れており、江戸時代中期も終わる頃に発刊された『翁草』とされるが、それ以前の絵図にも鳥居形と察せられる送り火の様子が掲載されている。
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