送り火の延期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 05:50 UTC 版)
1963年(昭和38年)には翌年に予定されていた1964年東京オリンピックも絡めて火床を新調し、さらには前夜祭を催した上で点火時には京都府仏教会により市内の各寺院が鐘を鳴らすなど、大きな規模で送り火が行われる予定で、比叡山などにも多くの見物客が詰めかけていた。 しかし当日の京都市中心部は16時半ごろから集中豪雨に見舞われ、浸水や停電などの被害が発生。他の四山については決行されたものの、大文字山では身動きもままならないほどの豪雨に見舞われ点火の準備もままならず、翌17日に延期となった。当時の京都新聞によれば「大文字」のみが中止したのは恐らく初めてではないかとのことである。 ところが翌17日も断続的な降雨に見舞われ、やむを得ず雨間を縫って予定より25分前倒し、19時35分の点火を決断せざるを得なくなった。しかしながらそれについての広報が万全には至らず、市民の多くが気付かない内に、送り火は終了。見物客もまばらといった次第であった。その後京都市役所などには送り火はまだ点かないのか、との問い合わせが寄せられたが、もう終了したと告げられた市民は憤慨したという。 その他近代では1913年(大正2年)、豪雨のために18日に延期されたとの伝承があり、1935年(昭和10年)は夕立のため16日には「左大文字」と「船形」のみしか点火できず、「大文字」の送り火は翌17日に延期された例がある。1963年の『京都新聞』によれば、1934年と1935年は(先の報道と矛盾するが)台風での倒木のため延期されたとしている。
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