如意ヶ嶽
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如意ヶ嶽(にょいがたけ[2]、にょいがだけ)は日本の京都、東山に存在する山。標高472メートルで、山頂は京都市左京区粟田口如意ヶ嶽町。他の表記・呼称は如意ヶ嶽、如意嶽、如意岳、如意ヶ峰(にょいがみね)、如意山(にょいやま)など。また如意ヶ嶽は京都市左京区と滋賀県大津市の境ともなっており、鹿ヶ谷から池ノ谷地蔵を経て園城寺へ至る山道は「如意越」(にょいごえ)と呼ばれ、これは京と近江の近道とされ[3]如意ヶ嶽の戦いなど合戦の舞台になったことがあるほか、城跡も残っている(後述)。また古来より信仰を集めた山であり、山中にはかつて大規模な山岳寺院・如意寺(にょいじ)が在った。
注釈
- ^ 466メートルとの表記も一般的。国土地理院の平成9年の1/10000地図では465.95メートル。国土地理院のwebによる地図閲覧サービスでは2012年5月時点で、465.4メートル。京都市計画局平成19年1/2500の地図では465.44メートル。
- ^ 東山三十六峰はもとより定義が曖昧なものであり、三十六という数字も単に「数が多い」という意味しかない。京都新聞編集局『東山三十六峰 -京都案内記-』(1957年刊行)でも比叡山を含めるか否かの問題は議論が有るものとしている。ただし同書では本来は如意ヶ嶽が北限ではないのかとしながらも、「現代」(1957年当時)においては最早比叡山を含めることが市民権を得ているとしている (p.15)。
- ^ ただし同じ著者の『雍州府志』ではこれは如意ヶ嶽とは別の山。
- ^ 明治以前は慈照寺、一部を八神社が所有していたもの。慈照寺北側の登山道から入山した場合、おおよそ千人塚(後述)あたりまでの範囲。なお銀閣寺山国有林は「東山国有林」のひとつであり、最北端のもの。最南端は稲荷山である。これらは1871年の社寺上知令により、管営となったもの。詳しくは『社寺と国有林』p.78などを参照。
- ^ 大日如来、不動明王、役行者を祀ったもの。鎌倉時代初期の釈迦如来石仏も見られる。
- ^ ちなみに「京都走ろう会」が開催している「大文字山ランニング」(火床まで)での優勝者は男子で9分弱、女子で11分前後となっている。
- ^ この先には頭上に送り火に使用する薪の運搬用リフトのケーブルおよび、金網による防護柵を見ることができる。
- ^ この如意越は『太平記』巻15などでも言及がなされている。
- ^ 竹村俊則『昭和京都名所図会』によれば、雨が続いて水量の増えた時は麓からこの瀑布を遠望することができるという。黒川道祐『近畿歴覧記』に曰く「久しく雨ふるときは此の渓より瀑漲り落つ、此亦洛東之一奇観也」。
- ^ もともとは麓に設置したのであるが、その後に場所を移したもの竹村俊則『如意寺跡をたづねて』では、こんな鬱蒼とした山中に山荘が在ったとは考えにくく、何故こんな所に移設されたのか真意がわからないとしている。
- ^ ただし『京都市の地名』によれば、現地ではここより南東にあった安祥寺の上寺跡を檀の谷と言ったことがその成り立ちであるとする説も紹介されているが、竹村俊則は『昭和京都名所図会』で、その説はただの混同であると否定している。
- ^ おおよそ東山30-33あたりから45。ただしトレイルのルートに沿うと、見晴らしの良い火床は経由せず、四つ辻より、前述の如意越、鹿ヶ谷の霊鑑寺へのルートを下山する。
- ^ 月刊『Leaf』2013年4月号「大文字山トレッキング」によれば、このルートで京都市営地下鉄蹴上駅から大文字山山頂に到達し、火床を通って慈照寺へ降りる場合、総行程は7km程度。所要時間は上級者で90分程度とのことであるが、一般の目安としては山頂まで1時間半、火床まで2時間、慈照寺まで2時間半程度としている。
- ^ 大文字山山頂東に「薬草園への分かれ」があり、そちらのルートを選ぶこともできる。
- ^ これを切り出したものは白川石として。風化して白川の川砂となったものは白川砂として、北白川の特産品である。大文字山には豊臣秀吉(太閤)が石を切り出したとの曰くあり、1897年に京都大学の比企忠が日本で初めて褐簾石を発見した石切場跡、「太閤岩」なるものもある。
- ^ 『東山国有林風致計画』によれば、1936年ごろには東山の国有林の61パーセントをアカマツが占めていた。
- ^ 近隣の比叡山には、ニホンザルの群れが生息している。この辺りは京都東管理ユニットに属する。
- ^ この火床付近の海抜は『京都一周トレイル 東山』によれば330メートル、『大文字 五山の送り火』p.65によれば333メートル。
- ^ 1957年 田中緑紅『京の送火 大文字』p.10によれば、当時は大文字が最後に点火されていた。p.22によれば点火時刻は20時13分。1976年の駒敏郎『大文字 五山の送り火』p.66でも、20年くらい前(1956年くらい)までは大文字は五山の中でも「横綱格」であるので、他の四山が点火されるのを見定めてから点火したとのことである。ちなみに「左大文字」は一斉ではなく筆順に点火される。
- ^ 大の字の各字画の長さについては文献により若干の違いがみられる。本項では昭和40年代に京都市当局が実測し、大文字保存会が採用している数値を示している(『大文字送り火 説明資料』など)。
- ^ 『京都故事物語』では、茄子に穴を開けて大文字を見ると目を患わない、大文字を盃に映してから飲み干すと中風を患わない、などのまじないも紹介されている。
- ^ 古くは浄土寺村の共有林。現在は保存会が維持管理。
- ^ 『京の大文字ものがたり』によれば、一巡すれば一年の休み。
- ^ 『京の大文字ものがたり』p.71によれば、4,5戸。
- ^ 『大文字送り火 説明資料』によれば、1973年ごろは金尾は5戸、字頭は1戸で担当していたが、2003年ごろにはそれぞれ4戸、2戸となっている。
- ^ 『京都・火の祭事記』によれば樹齢30から40年。『大文字送り火 説明資料』によれば90から100年(ただしこれは1973年の情報)、『フォレストニュース「森のひろば」』vol.988によれば燃焼時間の関係から樹齢80年程度。
- ^ 1972年の京都新聞によれば、このリフトの始点までは小型トラックで運搬をしていたとのことであり、積み込み時の写真も掲載されている。
- ^ 原文は「及晩冷泉亭ヘ行、山々焼火見物ニ東川原へ出了」。山本武夫校訂、1981年、『資料纂集 慶長日件録 第一』、続群書類従完成会、p.49、より引用。
- ^ 相国寺150世維明周奎がこれをしたためているという。
- ^ 「如意寺跡発見への挑み 1」でも、火床から大文字山山頂にかけて経塚が点在しており(如意ヶ嶽経塚群)、古来より神聖な山であったようだとしている。
- ^ 『京の大文字ものがたり』[要ページ番号]によれば、地元浄土寺で支持されている説。
- ^ 後述する1962年の送り火中止騒動も参照。
- ^ 1943年8月17日付『大阪毎日新聞』では計2000人(『京の大文字ものがたり』pp.153-154 による)。
- ^ 京都新聞では単に人文字としており、ラジオ体操への言及はない。
- ^ 当時60万円の経費の内、京都市の補助は10万円に過ぎず、ほとんどが地元負担であった。市や市民が大文字送り火を観光資源として利用し利益を得ているのに地元民ばかりに負担を強いるのは堪忍ならないという向きも多く見られていた。これについては1957年京都新聞編集局『東山三十六峰 -京都案内記-』でも言及されている。また1950年、大文字保勝会『京名物 大文字』での座談会 (p.49-)でも火床の維持、山道の補修などについて保勝会(当時)の声が掲載されている。なおこの座談会において当時の京都市観光課長は祇園祭・大文字送り火は宗教的行事であるので、市として表立っての支援は難しいと見解を述べている。
- ^ 付近に既に北朝鮮の学校があり、南北朝鮮の対立感情からのトラブルの発生を恐れたとのこと。
- ^ 京都市側は送り火とは関係なく、ハイキング客向けの、通常の市道整備を行っただけとコメントしている。
- ^ 京都新聞 1980年5月16日では当時の保存会会長が、高齢化などもあり防火用水を火床まで運搬することからして一苦労であるなどと語っている。またこの記事では市側が送り火を焚火扱いしたことも問題視されている。
- ^ 1976年 駒敏郎『大文字 五山の送り火』p.70では、立ち入り制限前である1976年当時、送り火当日の火床には実に5000人や3000人といった規模の人出が見られていたと記されており、また1950年 大文字保勝会『京名物 大文字』p.6でもその人出は一般人が数千人とされている。
- ^ 京都市中心部の繁華街、新京極や四条河原町南部一帯なども停電に見舞われている。
- ^ ただし雨のため点火が「遅れる」ことは、そう珍しいことではないともされている。
- ^ 『京都坊目誌』では同一のものとしているが、『資料京都の歴史 8』などでは別の物とされている。別々とした場合、その位置はかなり離れたもの。両城をプロットした地図については『資料京都の歴史 8』、『第49とれんち』、『京都市遺跡地図台帳』などを参照。
- ^ 一部の古文書で「霊鑑寺の南」として如意寺が紹介されているのは、これのこと。
- ^ 京都市遺跡地図台帳425。
- ^ 『昭和京都名所図会』によれば、跡地はバレーコートになっているという。
- ^ 『楽しい京都の山歩き』では、戦後とされている。
- ^ カッコウとホトトギスは古来混同が良く見られる。
- ^ 京都市遺跡地図台帳425-02。
- ^ 前述の通り、大文字山の北側は風化した花崗岩が多い。
- ^ ちなみに比叡平東方、大津側にある「皇子山カントリークラブ」は1960年(昭和35年)1月起工、1961年6月開場。もともとは開拓地であった。
出典
- ^ 国土地理院 ウォッ地図
- ^ 『京都市の地名』『東山三十六峰 -京都案内記-』『角川日本地名大辞典』などによれば、「た」は濁らない。
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『昭和京都名所図会』
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- ^ 『角川日本地名大辞典』、『京都市の地名』、竹村俊則『新撰京都名所図会』または『昭和京都名所図会』、京都観光Navi など。『東山三十六峰 -京都案内記-』は、明治時代までは第一峰とされていたとし、『雍州府志』では東山の頂、『京都坊目誌』では東山の主山としている。
- ^ 斜体部は『東山連峰に思う』p.50より引用
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- ^ 『東山三十六峰を歩く』で、本居宣長(宝暦6-7年、おおよそ1750年代)『在京日記』、百井塘雨(寛政年間、おおよそ1790年代)『笈埃随筆』の例が紹介されている。
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- ^ a b 田中泰彦『京都新聞』 1979年8月16日 p.6「大文字余聞」。京を語る会会長(当時)。安西文献はこれの孫引き。
- ^ 『社寺と国有林』pp.86-87 当該ページには、清水寺の背後の国有林に倒木が相次ぎ、惨憺たる有様となっている写真が掲載されている。
- ^ 『京都新聞』 2001年1月1日
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- ^ 読みは『拾遺都名所図会』による。
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- ^ 『京都・山城 寺院神社大事典』p.555
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- ^ 『大文字 五山の送り火』p.71
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- ^ 『京都 ご利益さんの穴場』「八神社」
- ^ 『京都坊目誌』「上京第27学区(浄土寺町)之部 - 八神社」
- ^ 『京都新聞』1988年8月12日朝刊
- ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』では1972年、『京都新聞』1989年12月7日では1974年
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- ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』p.29, p.31, p.43
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- ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』pp.51-55
- ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』pp.59-63、『京都新聞』1989年12月6日夕刊
- ^ 『京都新聞』1989年12月7日
- ^ [1]京都市運動施設等およびゴルフ場の建設事業に関する指導要綱
- ^ 『京都市長選挙結果調』1989年、『京都破壊に抗して』
- ^ 『皇子山カントリークラブ20年史』p.76「20周年座談会」およびp.98の年表。
如意ヶ岳
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