如意ヶ嶽 脚注

如意ヶ嶽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/24 22:46 UTC 版)

脚注

参考文献

書籍等

  • 安西幸夫、1995、「大文字送り火」、『京都・左京の十五年戦争』 pp. 140 - 大文字保存会会計(当時)の安西による寄稿。
  • 井手成三、1956、『京都案内記』、角川書店 pp. pp.18-19
  • 岩田英彬、1990、『京の大文字ものがたり』、松籟社 ISBN 4-87984-111-0 - 五山の「送り火」の歴史や地元での行事について詳しい。第一章「五山送り火の謎」では、送り火の起源について多くの説が系統立って紹介されている。岩瀬は送り火の起源について、京都の大文字が高知県四万十市(旧中村市)の大文字の成立に強く影響をおよぼしたとして、1565年以前にすでに存在したと仮定し、それが戦国時代の争乱の落ち着いたころに復活・定着したのではないかとの説を提示している。
  • 岩田英彬、1995、『楽しい京の山歩き』、松籟社 ISBN 4-87984-168-4 pp. 29-36
  • 碓井小三郎(編)、1916、『京都坊目誌』 - 京都叢書。如意寺について特に詳しい。直接の出典とはしていないが、「楼門の滝」「如意ヶ嶽城」「談合谷」にも言及。
  • 皇子山カントリークラブ、1978、『皇子山カントリークラブ20年史』、皇子山カントリークラブ - 滋賀県立図書館蔵書
  • 大阪営林局、1936、『東山国有林風致計画』、大阪営林局 pp. 口絵「銀閣寺山国有林 林相図」、p.21「5.国有林の林相と其の成因」、p.53「7.2.土地所有の沿革」
  • 大槻雅弘、内田嘉弘、木之下繁、2008、『京都府の山』、山と渓谷社 ISBN 978-4-635-02375-7 pp. 108-109 - 大槻雅弘執筆部
  • 梶川敏夫、1986、「如意寺跡発見への挑み 1」、『園城寺』56巻、総本山園城寺 - 大津市立図書館蔵書。如意寺、如意ヶ嶽城について。
  • 梶川敏夫、1986、「如意寺跡発見への挑み 2」、『園城寺』57巻、総本山園城寺 - 大津市立図書館蔵書。如意寺本堂跡について、雨神社についてのほか、園城寺『寺門伝記補録』の全文が引用されている。なおこの論文は『園城寺』58号までの3回の連載である。
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会、竹内理三(編)、1982、『角川 日本地名大辞典 26 京都府 上巻』、角川書店 pp. p.867「大文字山」、p.1117「如意ヶ嶽」
  • 加納進、1986、『哲学の道とその周辺の史跡を訪ねて』、室町書房
  • 川勝政太郎、1952、「如意寺とその古図」、『史跡と美術 228』、史跡・美術同攷会
  • 北白川小学校(編)、1958、『北白川こども風土記』、山口書店
  • 木村万平、2007、『京都破壊に抗して - 市民運動20年の軌跡』、かもがわ出版 ISBN 978-4-7803-0102-1 pp. 114-118
  • 京都市選挙管理委員会、1989、『京都市長選挙結果調』、京都市選挙管理委員会 - 京都府立総合資料館蔵書
  • 京都市文化観光資源保護財団、大文字五山保存会連合会、2000、『京都 大文字五山送り火』 - 概要についてのパンフレット状のもの。京都府立総合資料館蔵。
  • 京都市文化観光局文化観光部文化財保護課、大文字五山保存会連合会、1986、『京の伝統行事 大文字五山送り火』 - 概要についてのパンフレット状のもの。京都府立総合資料館蔵。
  • 京都趣味登山会『京都・滋賀 近郊の山を歩く』編集委員会(編)、1998、『京都・滋賀 近郊の山を歩く』、京都新聞社 ISBN 4-7638-0435-9
  • 京都趣味登山会、2003、『京都・滋賀 ふるさとの山103』、京都趣味登山会 pp. 106-107 - 京都府立総合資料館蔵
  • 京都新聞出版センター(編)、2003、『ウォーキング京都』、京都新聞出版センター ISBN 4-7638-0511-8 pp. 14
  • 京都新聞編集局(編)、1957、『東山三十六峰 -京都案内記-』、河出出版 pp. p.65「如意岳」
  • 益富寿之助(監修)ほか、京都地学会(編)、1993、『京都の地学図鑑』  ISBN 4-7638-0320-4
  • 京都府、2011、『京都府特定鳥獣保護管理計画 ニホンザル』、京都府 - 京都府立総合資料館蔵
  • 京都府、2011、『京都市鳥獣保護区等位置図 平成23年度(および付属冊子)』、京都府 - 京都府立総合資料館蔵
  • 近畿中国森林管理局、2008、「「五山の送り火」と銀閣寺山国有林」、『フォレストニュース「森のひろば」』988 民有林と国有林の連携による森林づくり、  pp. 6
  • 古代学協会、江谷寛、坂誥秀一(編)、2007、『平安時代山岳伽羅の調査研究 - 如意寺跡を中心として』、古代学協会 - 本文中で示した箇所のほか、p.78「如意寺関係史料」も参考とした。雨神社(赤龍社)や楼門の滝についての史料も示されている。
  • 駒敏郎、1976、『大文字 五山の送り火』、駸々堂出版
  • 清水誠規、1981、『京洛物語』、丸善
  • 下中邦彦(編)、1979、『日本歴史地名大系第27巻 京都市の地名』、平凡社 pp. p.71「如意ヶ嶽」、p71「中尾城跡」、p.71「大文字山」、p.144「八神社」、p.151「談合谷」、p.151「如意寺跡」
  • 薪く炭くKYOTO(編)、2004、『京都・火の祭事記 - 伝統行事からみた森林資源と人のつながり -』、薪く炭くKYOTO - 編者の読みは「しんくたんくきょうと」。
  • 市民本位の民主主政をすすめる会(編)、1989、『草の根の怒り321 89京都市長選の記録』、市民本位の民主主政をすすめる会 - 京都府立総合資料館蔵書
  • 鈴木元(編)、1997、『京都山歩き一周トレール』、かもがわ出版 pp. 26-38
  • 鈴木元 ほか、2004、『新編 ベスト・ハイク 京滋の山』、かもがわ出版 ISBN 4-87699-811-6 pp. 22-25 - 旧版は1990年。
  • 芝村文治、1993、『京滋百山 三角点を行く 下』、かもがわ出版 ISBN 4-87699-077-8
  • 瀨戸憙雄、1984、『東山連峰に思う』、創元社 pp. 50-56 - 特に如意越に詳しい。
  • 大文字保勝会、1950、『京名物 大文字』、大文字保勝会 - 京都府立資料館蔵書
  • 大文字保存会(編)、2003、『大文字送り火 説明資料』、大文字保存会 - 京都府立資料館蔵書
  • 大文字山ゴルフ場建設に反対する会、大文字山ゴルフ場問題を考える会(編)、1990、『ゴルフ場撃退・全記録』、かもがわ出版
  • 竹村俊則、1958、『新撰京都名所図会』1、白川書院 pp. 117-118
  • 竹村俊則、1994、『京のお地蔵さん』、京都新聞社 pp. 27-29
  • 竹村俊則、1981、『昭和京都名所図会』2 洛東-下、駸々堂出版 pp. 100-104 - 『新撰京都名所図会』 (1958)の増補改訂版。如意ヶ嶽、大文字送り火、如意寺、八神社、池の地蔵、雨神社、談合谷、楼門ノ滝の項目を参考とした。
  • 竹村俊則、1952、「如意寺跡をたづねて」、『史跡と美術 228』、史跡・美術同攷会
  • 田中泰彦、1993、『京都ご利益さんの穴場』、京を語る会 pp. p.55「八神社」、p.65「池の谷地蔵」
  • 田中緑紅、1957、『京の送火 大文字』、京を語る会 - 京都府立総合資料館蔵。『緑紅叢書』第1年4輯の4。送火の由来について、現在主流でない説なども紹介。
  • 地学団体研究会京都支部(編)、1968、『郷土の地質見学案内シリーズ 1 大文字山の岩石と鉱物 改訂版』、地学団体研究会京都支部 - 京都府立資料館蔵書
  • 奈良本辰也(編)、1967、『京都故事物語』、河出書房 pp. 275-276
  • 奈良本辰也(編)、1978、『史跡探訪 東山三十六峰』、京都新聞 pp. 64-70
  • 林屋辰三郎 他、1985年11月30日、『史料京都の歴史 8 左京区 京都市編』、平凡社 p.13「自然と景観 - 比叡山・大文字山とその鞍部」p.171「鹿ヶ谷村」(如意越、如意ヶ嶽城。雍州府志および名所都鳥など)、p.195「浄土寺村」(中尾城、『万松院殿穴太記』。送り火、『雍州府志』巻1および『東山名所図解』2巻) - 各種の古文書を集積して地域別に抜き書きしたもの。
  • 久山喜久雄 他、1991、『フィールドガイド大文字山 法然院森の教室』、ナカニシヤ出版 ISBN 978-4888481502
  • 久山喜久雄 他、2003年、『大文字山を歩こう 里山で自然観察』、ナカニシヤ出版 ISBN 4-88848-783-9 - 『フィールドガイド 大文字山』からの再録も多いため、多くについてはこちらの参照でも可である。
  • 福田淳、2012、『社寺と国有林 -京都東山・嵐山の変遷と新たな連携-』、日本林業調査会 ISBN 978-4-88965-226-0* 平凡社地方資料センター、1997、『京都・山城 寺院神社大事典』  ISBN 4-582-13401-7 - p.555「如意寺」、p.566「八神社」、p.357「浄土院」、p.358「浄土寺」
  • 三浦隆夫、京都新聞社(編)、1995、『東山三十六峰を歩く 面白の花の都や』、京都新聞社 pp. 85-91
  • 邨瀬豊、1994、『東山三十六峰を眺め心のしこりを晴らしましょう』、近代文藝社 ISBN 4-7733-2424-4 pp. 25
  • 安田陽介、2007、『大文字山を食べる 山菜・キノコ採集記』、新風社 ISBN 978-4-289-01165-0 pp. 157-160
  • 山本武人 (2001年3月30日). “歩きま専科 大文字山”. 京都新聞  - 京都新聞の連載登山コラム。掲載地図について、主に東山トレイルのルートを参考とした。
  • リーフ・パブリケーションズ、2013、「大文字山トレッキング」、『Leaf』(2013年4月号)、リーフ・パブリケーションズ - 京滋のタウン情報誌。

新聞

  • “昨日の実況”. 日出新聞: pp. 2. (1890年4月9日)  - 疏水開通記念での点灯についての言及
  • “通水式の夜会”. 日出新聞: pp. 3. (1890年4月10日)  - 疏水開通記念での点灯についての言及
  • “京都に於ける歓迎の準備”. 日出新聞: pp. 1. (1890年5月3日)  - ロシア皇太子歓迎
  • “露国皇太子殿下”. 日出新聞: pp. 1. (1890年5月9日)  - ロシア皇太子歓迎 送り火は20:30から予定されていた
  • “新樹啼鵑”. 日出新聞: pp. 1. (1895年5月15日)  - 日清戦争勝利「祝平和」点灯
  • “大捷と市中(市民歓喜の声) - 第三高等の大文字点火”. 日出新聞: pp. 7. (1905年6月1日) 
  • “建礼門前の拝賀式 - 大祝賀会寡報”. 日出新聞: pp. 7. (1905年11月26日) 
  • “雨に流れた大文字 船と左大文字が寂しく燃ゆる”. 京都日出新聞: pp. 朝刊 p.3. (1935年8月17日) 
  • “一夜越しの大文字 東山の夜空にぽつかり”. 京都日出新聞: pp. 朝刊 p.3. (1935年8月18日) 
  • “大文字 今年はどうなる? 防空強化の際だけに”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.2. (1943年7月17日) 
  • “白い"朝"の大文字 ラジオ体操で描く京の名物行事”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.2. (1943年8月13日) 
  • “英霊を送る 山腹にバツと白の大文字咲いて”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.2. (1943年8月16日) 
  • “送り火は若き力で 大文字に描く「人文字」”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.3. (1944年8月17日) 
  • “四年ぶり彩つたお盆の夜空”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.2. (1946年8月17日) 
  • “"大文字"ことしは中止”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.5(7版). (1962年8月12日) 
  • “"大文字"騒ぎ・きょうがヤマ 市、急ぎ解決へ話し合い”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.11. (1962年8月13日) 
  • “韓国学校の移転望む 地元民、京都市に陳情”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.7(4版). (1962年8月13日) 
  • “"大文字を消さないで" 市民からぞくぞく寄附”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.10. (1962年8月14日) 
  • “市、けさ山道の整備作業 大文字保存会 長老が反対派を説得”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.7. (1962年8月14日) 
  • “"大文字"点火に決まる 守られた"五山の送り火"”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.1. (1962年8月15日)  - および p.11
  • “きょう大文字ショー 送り火、大型化準備OK”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.15. (1963年8月16日) 
  • “"五山の火"一望に 大文字鑑賞へ人波続く”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.7. (1963年8月16日) 
  • “また浸水、停電騒ぎ 集中豪雨 大文字客もアワ食う”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.10. (1963年8月17日) 
  • “"主役"なしの大文字 異例、四山だけ点火 "2日ショー"がっかりの人波”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.11. (1963年8月17日) 
  • “日延べ大文字 抜き打ち点火 また雨、25分も早く 気付かぬ市民は憤慨”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.10. (1963年8月18日) 
  • “大文字 点火待つばかり 火床へリフト”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.11. (1972年8月16日) 
  • “大文字五山送り火 点火中止を決める”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.1. (1980年2月22日) 
  • “灯せぬか伝統の"火"”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.3. (1980年5月16日) 
  • “大文字 ともします”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.13. (1980年5月30日) 
  • “大文字山(北東部)にゴルフ場 大手不動産業者が計画”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.23. (1988年8月12日)  - 完成(予想)模型の写真も掲載。
  • “大文字山 業者(地産)ゴルフ場断念 市民の反発厳しく”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.1. (1989年12月6日) 
  • “大文字山ゴルフ場計画断念 「環境守れた」歓迎”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.28. (1989年12月7日) 
  • “ゴルフ場開発全面禁止へ 指導要綱で明文化”. 京都新聞: pp. 夕刊 p.1. (1993年9月16日)  - 18日朝刊に社説。
  • “希望の火 21世紀幕開け 平和願い京を照らす”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.1. (2001年1月1日)  - 30面、31面にも言及がある。
  • “鎮魂の「大」人文字”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.29. (2012年3月12日) 
  • 樺山聡 (2014年8月16日). “大文字点火 1時間前?”. 京都新聞: pp. 朝刊 p.1 

地図

  • 京都一周トレイル会 2009年 京都一周トレイルコース公式ガイドマップ 東山
  • 京都市都市計画局 2007年3月 1:2500 『大文字山』 如意ヶ嶽山頂の所在地と高度について。
  • 京都市都市計画局 2007年3月 1:2500 『如意ヶ嶽』 如意ヶ嶽山頂の所在およびそれ以東の地形などについて
  • 国土地理院 1996年6月1 1万分の1地形図 『大津』 京都および大阪2-4-2,3-3-1
  • 参謀本部測量、地理調査所発行 1955年1月30 1:10,000地形図 京都近傍2号 『大文字山』
  • シンブン21編、2010年、『2010年 京都市都市計画地図集』

ウェブサイト

古文書

  • 『拾遺都名所図会』- 国際日本文化研究センターのデータベースより参照可能。これも中尾山、如意城、池谷地蔵、雨神社など広く言及。一部について参照した。
  • 木村明啓、1864、『東山名勝図会』巻2 または『再撰 花洛名勝図会 東山之部』巻4 - 国際日本文化研究センターのデータベースより参照可能。送り火、如意寺、談合谷、中尾城についてなど、広く言及されている。一部言及について参照した。
  • 黒川道祐、1676、『日時紀事』7月16日 - 送り火について。『史料 京都見聞記』第1巻より。
  • 黒川道祐、1686、『雍州府志』 - 巻1、山川門愛宕郡では如意ヶ嶽、慈照寺山で全般について言及。一部について参照した。巻4、寺院門愛宕郡の慈照寺の項目でも言及が有る。
  • 黒川道祐、1687ごろ、『近畿歴覧記』 - 楼門の滝について。『史料 京都見聞記』第1巻より。
  • 松野元敬、1665、『扶桑京華志』巻之1 山岳 - 如意宝山との記述と、送り火への簡単な言及。

関連文献

  • 『都名所図会』 巻3 - 国際日本文化研究センターのデータベースより参照可能。「大文字山」として。
  • e国宝 園城寺境内古図”. 如意寺境内古図. 国立博物館. 2022年5月20日閲覧。 - 如意寺境内を描いた古図。
  • 池田硯、東山学園、1970、『比叡山・如意ヶ嶽・東山山系の自然科学的研究』 - 京都府立総合資料館蔵
  • 京都大学考古学研究会、1998、『第49とれんち』、京都大学考古学研究会 pp. p.62「大文字山踏査報告」 - 如意越・中尾城・如意ヶ嶽城がプロットされた地図。および中尾城の遺構調査。
  • 京都大学考古学研究会、2001、『第50とれんち』、京都大学考古学研究会 - 大文字山特集。中尾城の歴史・遺構のほか、隣接する北白川城と一体化して防御施設として成立していたのではないか、との考察など。如意ヶ嶽信仰・如意寺の歴史にも言及。
  • 上山春平 (1979). “如意越え探索”. 園城寺 (総本山園城寺) 26.  - 大津市立図書館蔵書。如意越えと如意ヶ嶽城(大文字山山頂付近)についての考察。なおこの文書では慈照寺から火床へ至るルートを「大文字道」と呼称している。
  • 滋野敬淳 (1978). “三井寺如意寺山越えの記”. 園城寺 (総本山園城寺) 22.  - 大津市立図書館蔵書。滋賀大津側、園城寺(三井寺)付近からの入山経路など。
  • 矢野桂司、中村和郎(編)、2005、『地図からの発想』、古今書院 pp. p.74「デジタル地図から景観シミュレーションへ 大文字山の展望:四条大橋からの送り火鑑賞 - 京都市内各所で見える「五山の送り火」の数を可視化し、GISでプロットした地図が掲載。

注釈

  1. ^ 466メートルとの表記も一般的。国土地理院平成9年の1/10000地図では465.95メートル。国土地理院のwebによる地図閲覧サービスでは2012年5月時点で、465.4メートル。京都市計画局平成19年1/2500の地図では465.44メートル。
  2. ^ 東山三十六峰はもとより定義が曖昧なものであり、三十六という数字も単に「数が多い」という意味しかない。京都新聞編集局『東山三十六峰 -京都案内記-』(1957年刊行)でも比叡山を含めるか否かの問題は議論が有るものとしている。ただし同書では本来は如意ヶ嶽が北限ではないのかとしながらも、「現代」(1957年当時)においては最早比叡山を含めることが市民権を得ているとしている (p.15)。
  3. ^ ただし同じ著者の『雍州府志』ではこれは如意ヶ嶽とは別の山。
  4. ^ 明治以前は慈照寺、一部を八神社が所有していたもの。慈照寺北側の登山道から入山した場合、おおよそ千人塚(後述)あたりまでの範囲。なお銀閣寺山国有林は「東山国有林」のひとつであり、最北端のもの。最南端は稲荷山である。これらは1871年の社寺上知令により、管営となったもの。詳しくは『社寺と国有林』p.78などを参照。
  5. ^ 大日如来不動明王役行者を祀ったもの。鎌倉時代初期の釈迦如来石仏も見られる。
  6. ^ ちなみに「京都走ろう会」が開催している「大文字山ランニング」(火床まで)での優勝者は男子で9分弱、女子で11分前後となっている。
  7. ^ この先には頭上に送り火に使用する薪の運搬用リフトのケーブルおよび、金網による防護柵を見ることができる。
  8. ^ この如意越は『太平記』巻15などでも言及がなされている。
  9. ^ 竹村俊則『昭和京都名所図会』によれば、雨が続いて水量の増えた時は麓からこの瀑布を遠望することができるという。黒川道祐『近畿歴覧記』に曰く「久しく雨ふるときは此の渓より瀑漲り落つ、此亦洛東之一奇観也」
  10. ^ もともとは麓に設置したのであるが、その後に場所を移したもの竹村俊則『如意寺跡をたづねて』では、こんな鬱蒼とした山中に山荘が在ったとは考えにくく、何故こんな所に移設されたのか真意がわからないとしている。
  11. ^ ただし『京都市の地名』によれば、現地ではここより南東にあった安祥寺の上寺跡を檀の谷と言ったことがその成り立ちであるとする説も紹介されているが、竹村俊則は『昭和京都名所図会』で、その説はただの混同であると否定している。
  12. ^ おおよそ東山30-33あたりから45。ただしトレイルのルートに沿うと、見晴らしの良い火床は経由せず、四つ辻より、前述の如意越、鹿ヶ谷の霊鑑寺へのルートを下山する。
  13. ^ 月刊『Leaf』2013年4月号「大文字山トレッキング」によれば、このルートで京都市営地下鉄蹴上駅から大文字山山頂に到達し、火床を通って慈照寺へ降りる場合、総行程は7km程度。所要時間は上級者で90分程度とのことであるが、一般の目安としては山頂まで1時間半、火床まで2時間、慈照寺まで2時間半程度としている。
  14. ^ 大文字山山頂東に「薬草園への分かれ」があり、そちらのルートを選ぶこともできる。
  15. ^ これを切り出したものは白川石として。風化して白川の川砂となったものは白川砂として、北白川の特産品である。大文字山には豊臣秀吉太閤)が石を切り出したとの曰くあり、1897年に京都大学の比企忠が日本で初めて褐簾石を発見した石切場跡、「太閤岩」なるものもある。
  16. ^ 『東山国有林風致計画』によれば、1936年ごろには東山の国有林の61パーセントをアカマツが占めていた。
  17. ^ 近隣の比叡山には、ニホンザルの群れが生息している。この辺りは京都東管理ユニットに属する。
  18. ^ この火床付近の海抜は『京都一周トレイル 東山』によれば330メートル、『大文字 五山の送り火』p.65によれば333メートル。
  19. ^ 1957年 田中緑紅『京の送火 大文字』p.10によれば、当時は大文字が最後に点火されていた。p.22によれば点火時刻は20時13分。1976年の駒敏郎『大文字 五山の送り火』p.66でも、20年くらい前(1956年くらい)までは大文字は五山の中でも「横綱格」であるので、他の四山が点火されるのを見定めてから点火したとのことである。ちなみに「左大文字」は一斉ではなく筆順に点火される。
  20. ^ 大の字の各字画の長さについては文献により若干の違いがみられる。本項では昭和40年代に京都市当局が実測し、大文字保存会が採用している数値を示している(『大文字送り火 説明資料』など)。
  21. ^ 『京都故事物語』では、茄子に穴を開けて大文字を見ると目を患わない、大文字を盃に映してから飲み干すと中風を患わない、などのまじないも紹介されている。
  22. ^ 古くは浄土寺村の共有林。現在は保存会が維持管理。
  23. ^ 『京の大文字ものがたり』によれば、一巡すれば一年の休み。
  24. ^ 『京の大文字ものがたり』p.71によれば、4,5戸。
  25. ^ 『大文字送り火 説明資料』によれば、1973年ごろは金尾は5戸、字頭は1戸で担当していたが、2003年ごろにはそれぞれ4戸、2戸となっている。
  26. ^ 『京都・火の祭事記』によれば樹齢30から40年。『大文字送り火 説明資料』によれば90から100年(ただしこれは1973年の情報)、『フォレストニュース「森のひろば」』vol.988によれば燃焼時間の関係から樹齢80年程度。
  27. ^ 1972年の京都新聞によれば、このリフトの始点までは小型トラックで運搬をしていたとのことであり、積み込み時の写真も掲載されている。
  28. ^ 原文は「及晩冷泉亭ヘ行、山々焼火見物ニ東川原へ出了」。山本武夫校訂、1981年、『資料纂集 慶長日件録 第一』、続群書類従完成会、p.49、より引用。
  29. ^ 相国寺150世維明周奎がこれをしたためているという。
  30. ^ 「如意寺跡発見への挑み 1」でも、火床から大文字山山頂にかけて経塚が点在しており(如意ヶ嶽経塚群)、古来より神聖な山であったようだとしている。
  31. ^ 『京の大文字ものがたり』[要ページ番号]によれば、地元浄土寺で支持されている説。
  32. ^ 後述する1962年の送り火中止騒動も参照。
  33. ^ 1943年8月17日付『大阪毎日新聞』では計2000人(『京の大文字ものがたり』pp.153-154 による)。
  34. ^ 京都新聞では単に人文字としており、ラジオ体操への言及はない。
  35. ^ 当時60万円の経費の内、京都市の補助は10万円に過ぎず、ほとんどが地元負担であった。市や市民が大文字送り火を観光資源として利用し利益を得ているのに地元民ばかりに負担を強いるのは堪忍ならないという向きも多く見られていた。これについては1957年京都新聞編集局『東山三十六峰 -京都案内記-』でも言及されている。また1950年、大文字保勝会『京名物 大文字』での座談会 (p.49-)でも火床の維持、山道の補修などについて保勝会(当時)の声が掲載されている。なおこの座談会において当時の京都市観光課長は祇園祭・大文字送り火は宗教的行事であるので、市として表立っての支援は難しいと見解を述べている。
  36. ^ 付近に既に北朝鮮の学校があり、南北朝鮮の対立感情からのトラブルの発生を恐れたとのこと。
  37. ^ 京都市側は送り火とは関係なく、ハイキング客向けの、通常の市道整備を行っただけとコメントしている。
  38. ^ 京都新聞 1980年5月16日では当時の保存会会長が、高齢化などもあり防火用水を火床まで運搬することからして一苦労であるなどと語っている。またこの記事では市側が送り火を焚火扱いしたことも問題視されている。
  39. ^ 1976年 駒敏郎『大文字 五山の送り火』p.70では、立ち入り制限前である1976年当時、送り火当日の火床には実に5000人や3000人といった規模の人出が見られていたと記されており、また1950年 大文字保勝会『京名物 大文字』p.6でもその人出は一般人が数千人とされている。
  40. ^ 京都市中心部の繁華街新京極四条河原町南部一帯なども停電に見舞われている。
  41. ^ ただし雨のため点火が「遅れる」ことは、そう珍しいことではないともされている。
  42. ^ 『京都坊目誌』では同一のものとしているが、『資料京都の歴史 8』などでは別の物とされている。別々とした場合、その位置はかなり離れたもの。両城をプロットした地図については『資料京都の歴史 8』、『第49とれんち』、『京都市遺跡地図台帳』などを参照。
  43. ^ 一部の古文書で「霊鑑寺の南」として如意寺が紹介されているのは、これのこと。
  44. ^ 京都市遺跡地図台帳425。
  45. ^ 『昭和京都名所図会』によれば、跡地はバレーコートになっているという。
  46. ^ 『楽しい京都の山歩き』では、戦後とされている。
  47. ^ カッコウホトトギスは古来混同が良く見られる。
  48. ^ 京都市遺跡地図台帳425-02。
  49. ^ 前述の通り、大文字山の北側は風化した花崗岩が多い。
  50. ^ ちなみに比叡平東方、大津側にある「皇子山カントリークラブ」は1960年(昭和35年)1月起工、1961年6月開場。もともとは開拓地であった。

出典

  1. ^ 国土地理院 ウォッ地図
  2. ^ 『京都市の地名』『東山三十六峰 -京都案内記-』『角川日本地名大辞典』などによれば、「た」は濁らない。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m 『昭和京都名所図会』
  4. ^ 『京都 大文字五山送り火』
  5. ^ 『角川日本地名大辞典』、『京都市の地名』、竹村俊則『新撰京都名所図会』または『昭和京都名所図会』、京都観光Navi など。『東山三十六峰 -京都案内記-』は、明治時代までは第一峰とされていたとし、『雍州府志』では東山の頂、『京都坊目誌』では東山の主山としている。
  6. ^ 斜体部は『東山連峰に思う』p.50より引用
  7. ^ a b c d e f g h i j 『大文字送り火 説明資料』
  8. ^ a b c d e f g h 『東山三十六峰を歩く』
  9. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典』
  10. ^ 『東山三十六峰を歩く』で、本居宣長宝暦6-7年、おおよそ1750年代)『在京日記』、百井塘雨寛政年間、おおよそ1790年代)『笈埃随筆』の例が紹介されている。
  11. ^ 『花洛名勝図会』「如意ヶ嶽」
  12. ^ 『京の大文字ものがたり』p.68 (1990)、『東山国有林風致計画』p.2 (1936)
  13. ^ a b c d e f g 『東山連峰に思う』
  14. ^ a b c d 『史料 京都の歴史 8』p.171「鹿ヶ谷村」
  15. ^ a b 『大文字山の岩石と鉱物』
  16. ^ a b c 『京都府の山』 - 主にインクラインよりの登山ルートについて
  17. ^ a b c d e 『京都山歩き一周トレール』 - 主にインクラインよりの登山ルート、および大文字山山頂より東、大津までのルートについて
  18. ^ a b 『東山三十六峰を眺め心のしこりを晴らしましょう』
  19. ^ a b c d e 『京の大文字ものがたり』p.37「文献にみる大文字の起源」
  20. ^ a b c d e f g h 『楽しい京の山歩き』 - 千人塚、太閤岩、登山ルート全般について。
  21. ^ 京都の如意ヶ岳(大文字山)から長野の御嶽山を遠望 2014年1月
  22. ^ 『2010 京都市都市計画地図集』pp.10-11、『京都市鳥獣保護区等位置図 平成23年度』および付属冊子
  23. ^ a b 『東山国有林風致計画』
  24. ^ 「京都・大阪の国有林」「京都の国有林」
  25. ^ 『銀閣寺山国有林におけるマツ林再生の取組』
  26. ^ a b フォレストニュース「森のひろば」vol.988
  27. ^ 「五山の送り火」に向けて、銀閣寺山国有林の作業道を整備”. 近畿中国森林管理局 (2011年8月10日). 2012年2月26日閲覧。
  28. ^ 京都府告示第639号
  29. ^ レクリエーションの森一覧 - 東山風景林”. 近畿中国森林管理局. 2012年4月2日閲覧。
  30. ^ 『京都山歩き一周トレール』または『フォレストニュース「森のひろば」』vol.988による。
  31. ^ 『フィールドガイド 大文字山』 p.55
  32. ^ 京都走ろう会. “第41回大文字山ランニング”. 京都走ろう会. 2012年4月2日閲覧。
  33. ^ a b c d e f g 『東山三十六峰 -京都案内記-』
  34. ^ 『ふるさとの山103』
  35. ^ 『京都一周トレイルコース公式ガイドマップ 東山』
  36. ^ 『京都・滋賀 近郊の山を歩く』pp.108-113 - トレイルのルートについて。
  37. ^ 『ウォーキング京都』
  38. ^ 『ベスト・ハイク 京滋の山』
  39. ^ 『フィールドガイド 大文字山』
  40. ^ 『京都府の山』pp.108-109
  41. ^ 登山道全般については国土地理院と参謀本部の地図のほか、『京都一周トレイルコース公式ガイドマップ 東山』を中心に、『京都府の山』p.109、『楽しい京の山歩き』p.29、『フィールドガイド 大文字山』pp.50-51、およびp.133の地図およびそれに付随する解説も参考とした。また四つ辻より東については『京都山歩き一周トレール』を特に参考とした。
  42. ^ 「低い山でも油断大敵 京都・大文字山で遭難者急増」東京新聞』夕刊2019年3月23日(8面)2019年4月11日閲覧。
  43. ^ 『フィールドガイド 大文字山』 p.132「岩石・鉱物」(鈴木博之)または 『大文字山を歩こう』p.170「山の生い立ち」、p.174「地学散歩」(鈴木博之)
  44. ^ 『大文字山を歩こう』p.11または『大文字山を歩こう』p.17「大文字山に登る」(久山喜久雄)
  45. ^ 『京都の地学図鑑』pp.179-193
  46. ^ a b 『大文字山を歩こう』p.26「大文字山の植物観察」(久山慶子)
  47. ^ 『フィールドガイド 大文字山』 p.58「植物」(村田源)、p.71「きのこ」(吉見昭一)
  48. ^ 『大文字山を歩こう』p.56「きのこの野外探訪」(吉見昭一)、p.72「フィールドノート観察記 1」(マツタケについて)
  49. ^ 『京都・火の祭事記』p.11 (マツタケについて)
  50. ^ 『社寺と国有林』pp.84-85
  51. ^ 『社寺と国有林』p.89
  52. ^ 『社寺と国有林』 pp.93,105 およびその前後。
  53. ^ 『京都府特定鳥獣保護管理計画 ニホンザル』2011年
  54. ^ 『フィールドガイド 大文字山』 p.99「けものたち」(川道美枝子、川道武男)(この文献では哺乳類は18種)、p.111「野鳥」(久山喜久雄)
  55. ^ 『大文字山を歩こう』p.145「里山の動物たち」(久山喜久雄)(この文献では哺乳類は20種程度)
  56. ^ 『フィールドガイド 大文字山』 p.85「昆虫」(塚本珪一)
  57. ^ a b c d e f g 『新撰京都名所図会』
  58. ^ a b c d e f g h i 『京都 大文字 五山送り火』 pp.18-24 - 主に火床の詳細や数、薪、各戸の受け持ち件数について。
  59. ^ a b c d 『京の大文字ものがたり』pp.68-
  60. ^ 『京の大文字ものがたり』p.51
  61. ^ a b c d e f g 京都市文化観光局文化観光部文化財保護課、大文字五山保存会連合会、1986、『京の伝統行事 大文字五山送り火』
  62. ^ 京都新聞 2014年8月16日 朝刊 p.1
  63. ^ 『京都・火の祭事記』p.15
  64. ^ 護摩木に名前と病名を書き、それを燃やすことにより病が消えると言われている。燃やした後の燃え木も魔除けとなる。
  65. ^ a b c d e 京都市観光協会、大文字送り火協賛会 2005『京都大文字五山送り火』
  66. ^ a b c d e f g h 安西幸夫 1995 『大文字送り火』
  67. ^ 「銀閣寺山国有林におけるマツ林再生の取組」 - アカマツの融通、共有林・国有林などについて
  68. ^ 「銀閣寺山国有林におけるマツ林再生について」- アカマツの融通、共有林・国有林などについて
  69. ^ 『京都・火の祭事記』p.7
  70. ^ 『大文字山を食べる』[要ページ番号]
  71. ^ 『京の大文字ものがたり』p.69-71
  72. ^ 『京都・火の祭事記』[要ページ番号]
  73. ^ 『京都故事物語』[要ページ番号]
  74. ^ a b 『京都・火の祭事記』p.26
  75. ^ 『京の送火 大文字』p.21。1957年の文献であるが、このころは作業人員は80人程度。
  76. ^ 『大文字 五山の送り火』p.66
  77. ^ 『京都新聞』1972年8月16日 夕刊
  78. ^ 京都観光協会webサイト「五山の送り火」
  79. ^ 京都観光Navi「京都五山送り火」
  80. ^ 『フィールドガイド 大文字山』p.166 または『大文字山を歩こう』p.17「大文字送り火」
  81. ^ “送り火に松枯れの薪”. 読売新聞: pp. 朝刊27面. (2008年) 
  82. ^ 『京名物 大文字』pp.6-7、pp.50-51。1950年当時の点火の模様、火床の造営など。
  83. ^ 『京洛物語』
  84. ^ 『京の大文字ものがたり』p.9
  85. ^ 『大文字 五山の送り火』p.29
  86. ^ 『雍州府志』
  87. ^ 『京の大文字ものがたり』p.53
  88. ^ a b c 『京の大文字ものがたり』p.63「大文字送り火はなぜ『大の字』か」
  89. ^ 『東山三十六峰を眺め心のしこりを晴らしましょう』
  90. ^ 『京名物 大文字』p.4
  91. ^ 『京の送火 大文字』pp.19-20 この文献では『雍州府志』では72床とするが、『雍州府志』「慈照寺山」では、横の一画10箇余、左竪の一画20箇、右の一画29箇余である。
  92. ^ 『京都案内記』[要ページ番号]
  93. ^ 『京の送火 大文字』pp.12-13, p.23
  94. ^ 『京の大文字ものがたり』[要ページ番号]
  95. ^ 『史跡探訪 東山三十六峰』
  96. ^ 『フィールドガイド 大文字山』pp.166-168
  97. ^ 『京都・山城 寺院神社大事典』[要ページ番号]
  98. ^ 1991年『フィールドガイド 大文字山』p.167。48戸 1994年『東山三十六峰を眺め心のしこりを晴らしましょう』、50余戸 1981年『京洛物語』、47戸 2004年『京都・火の祭事記』、48戸 1957年 『東山三十六峰 -京都案内記-』p.69 など。
  99. ^ 『京都新聞』1943年7月17日朝刊、8月13日夕刊、8月16日夕刊
  100. ^ 『京の大文字ものがたり』p.153「人文字の大文字」
  101. ^ 『京都新聞』1944年8月17日朝刊、1946年8月17日朝刊
  102. ^ 『京都新聞』2012年3月12日朝刊
  103. ^ 『京の送火 大文字』p.14
  104. ^ 『京都新聞』1962年8月12日-8月16日
  105. ^ 『京の大文字ものがたり』pp.158-161
  106. ^ 『京の大文字ものがたり』pp.162-164 同書によれば「共同で当たる」。
  107. ^ 『京都新聞』1980年2月22日朝刊、5月16日朝刊、5月30日夕刊。京都新聞5月30日夕刊によれば、「京都市が責任を持つ」
  108. ^ 1990年の『京の大文字ものがたり』による。
  109. ^ 『日出新聞』1890年4月9日「昨日の実況」
  110. ^ a b c d e f g 『京の大文字ものがたり』pp.145-
  111. ^ 『日出新聞』1890年5月3日、5月9日。20:30からの予定だったとのこと。『京の大文字ものがたり』によれば、日出新聞には点火されたとの続報は示されていない。
  112. ^ 『日出新聞』1895年5月15日 今夜点火予定との由。
  113. ^ 『日出新聞』1905年6月1日
  114. ^ 『日出新聞』1905年11月26日
  115. ^ a b 田中泰彦『京都新聞』 1979年8月16日 p.6「大文字余聞」。京を語る会会長(当時)。安西文献はこれの孫引き。
  116. ^ 『社寺と国有林』pp.86-87 当該ページには、清水寺の背後の国有林に倒木が相次ぎ、惨憺たる有様となっている写真が掲載されている。
  117. ^ 『京都新聞』 2001年1月1日
  118. ^ 『京都新聞』1963年8月16日朝刊および夕刊
  119. ^ a b 『京都新聞』1963年8月17日 朝刊
  120. ^ 『京都新聞』1963年8月18日 朝刊
  121. ^ 『京都日出新聞』1935年8月17日
  122. ^ 『京都日出新聞』1935年8月18日
  123. ^ 読みは『拾遺都名所図会』による。
  124. ^ 『資料京都の歴史 8』p.180、および別添地図。
  125. ^ a b c 「如意寺跡発見への挑み 1」
  126. ^ a b c 『京都市の地名』
  127. ^ 『平安時代山岳伽羅の調査研究』p.64 - 小山田和夫、2007、「如意寺の創建について」
  128. ^ 『華頂要略』による。
  129. ^ 「如意寺発見への挑み 1」によれば、園城寺『寺門伝記補録』に曰く、1336年に罹災した後、1468年に再び焼失した。
  130. ^ 『平安時代山岳伽羅の調査研究』p.7
  131. ^ 『平安時代山岳伽羅の調査研究』p.13-15、図版第1, 3, 5
  132. ^ 『平安時代山岳伽羅の調査研究』pp.5-9 全般または基礎的な事実について。pp.45- 出土物について(直接の出典とはしていない)。p.64「如意寺の創建について」(小山田和夫)、p.74「如意寺について」(佐々木令信)
  133. ^ 『京都・山城 寺院神社大事典』p.555
  134. ^ 「如意寺とその古図」
  135. ^ a b c d 『京のお地蔵さん』
  136. ^ 『大文字 五山の送り火』p.71
  137. ^ 地図のほか、薬草園のwebサイトによる。竹村俊則『京のお地蔵さん』では左京区如意ヶ嶽池ノ谷。
  138. ^ a b 『京のご利益さんの穴場』
  139. ^ 『京都坊目誌』「上京第28学区(鹿ヶ谷町)之部 - 池ノ地蔵」
  140. ^ 『拾遺都名所図会』「池谷地蔵」
  141. ^ a b 『東山名勝図会』
  142. ^ 竹村俊則「如意ヶ嶽跡をたづねて」
  143. ^ 「如意寺跡発見への挑み 2」
  144. ^ 『哲学の道とその周辺の史跡を訪ねて』p.21
  145. ^ 『平安時代山岳伽羅の調査研究』p.35 赤龍社との同定について。
  146. ^ 『京都・山城 寺院神社大事典』「八神社」
  147. ^ 『京都 ご利益さんの穴場』「八神社」
  148. ^ 『京都坊目誌』「上京第27学区(浄土寺町)之部 - 八神社」
  149. ^ 『京都新聞』1988年8月12日朝刊
  150. ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』では1972年、『京都新聞』1989年12月7日では1974年
  151. ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』p.15, pp.38-39。『京都新聞』1989年12月6日夕刊、7日朝刊。ゴルフ場以外ではスポーツ施設や寺院などの開発が、禁止はされていない状態であったとされる。
  152. ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』p.29, p.31, p.43
  153. ^ 『草の根の怒り321』p.25, p.61, p.64, p.96, p.120など。
  154. ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』pp.51-55
  155. ^ 『ゴルフ場撃退・全記録』pp.59-63、『京都新聞』1989年12月6日夕刊
  156. ^ 『京都新聞』1989年12月7日
  157. ^ [1]京都市運動施設等およびゴルフ場の建設事業に関する指導要綱
  158. ^ 『京都市長選挙結果調』1989年、『京都破壊に抗して』
  159. ^ 『皇子山カントリークラブ20年史』p.76「20周年座談会」およびp.98の年表。



如意ヶ岳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 02:09 UTC 版)

如意ヶ岳(にょいがだけ)は、山口県美祢市秋芳町にある標高545.4mのである。山頂からの展望がよく東には桂木山南には秋吉台が間近に望める。また地元には埋蔵金伝説が残る。


  1. ^ 基準点成果等閲覧サービス”. 国土地理院. 2014年6月27日閲覧。 “基準点コード TR35131324101”


「如意ヶ岳」の続きの解説一覧




如意ヶ嶽と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「如意ヶ嶽」の関連用語

如意ヶ嶽のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



如意ヶ嶽のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの如意ヶ嶽 (改訂履歴)、如意ヶ岳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS