1906年に譲渡された仏像
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「興福寺の仏像」の記事における「1906年に譲渡された仏像」の解説
明治初年の廃仏毀釈の後、興福寺は一時期廃寺となるなどして荒廃していた。古写真を見ると、明治期の中金堂や東金堂には、本来の安置堂宇を失った多くの仏像が寄せ集められ、その中には破損した仏像もかなりの数が存在した。1897年(明治30年)、古社寺保存法が施行され、同法に基づいて各地の社寺の宝物が国宝(いわゆる旧国宝)に指定されるようになった。興福寺においても主要な仏像は1897年以降、順次旧国宝に指定され、保存修理が行われることとなった。しかし、当時の興福寺は困窮し、仏像や堂塔の維持修理費にも事欠いていたことから、本来の安置堂宇を失い、信仰の対象とはならなくなった多くの仏像を売却し、それによって寺院の維持存続の経費を捻出することに決した。1905年(明治38年)と翌1906年(明治39年)に興福寺から奈良県に対して仏像を外部に譲渡することについての願書が提出されている。これらの仏像は、1906年に入札の結果、益田英作(実業家益田孝の末弟)の購入するところとなった。これらの仏像は、実質的には英作の兄で、茶人・美術コレクターとして著名な益田孝(号:鈍翁)が入手したものであり、英作は購入・転売等に係る実務面を担当したとみられる。鈍翁は、入手した仏像77体のうち、自ら選んだ17体のみを手元に残し、それ以外の仏像は弟の英作が店主を務める古美術店「多門店」を経て、他の蒐集家に転売された。興福寺には、1906年7月1日にこれら仏像群を撮影した、2枚の古写真が残されている。これらの古写真は、売却直前の仏像を興福寺本坊の土蔵の前に並べて撮影したもので、合せて80点以上の仏像が写っている。2018年、奈良国立博物館学芸部でこれらの古写真の高精細画像を作成して分析したところ、従来は不明であった多くの仏像の移動先が判明した(下記一覧を参照)。 以下の像は、1906年7月1日に興福寺で撮影された古写真に写っている仏像のうち、従前から興福寺旧蔵であることが知られていたもの。 木造弥勒菩薩立像(ボストン美術館蔵) 快慶作、文治5年(1189年)一乗院伝来 乾漆梵天・帝釈天立像(サンフランシスコ、アジア美術館蔵) 梵天像の頭部左半分と帝釈天像の頭部全体は、破損して失われていたものが後補されている。 木造持国天立像(MIHO MUSEUM蔵、重要文化財) 木造増長天立像(奈良国立博物館蔵、重要文化財) 木造多聞天立像(奈良国立博物館蔵、重要文化財) 以上3点は、興福寺旧蔵だが、本来の安置堂宇不明の四天王像のうちの3体。残りの1体(広目天像)のみが現在も興福寺の所有である。持国天像は益田孝旧蔵で、他の所蔵先を経て現所蔵者へ移った。増長天像と多聞天像は別々の個人を経て奈良国立博物館蔵となっている。実業家で美術コレクターの益田孝(鈍翁)は、1906年、興福寺が維持費捻出のため売却した仏像77体を入手した。益田はこのうちの優品17体を手元に残し、残りを他に売却した。手元に残したうちには上掲の持国天立像も含まれる。 木造帝釈天立像(根津美術館蔵) 定慶作、建仁元年(1201年)。興福寺に残る梵天像と対をなす。帝釈天像は頭部が後補である。 以下の像は、奈良国立博物館学芸部による古写真の高精細画像の分析によって、興福寺旧蔵と確認されたものである。 木造如来坐像(クリーヴランド美術館)平安時代 木造観音菩薩(十一面観音)立像(奈良国立博物館、重要文化財)平安時代 像内に平安時代の仏画の絹本著色千手観音像が納入されていた。 木造十一面観音立像(四天王寺)平安時代 木造地蔵菩薩立像 快慶作(大阪・藤田美術館、重要文化財)鎌倉時代 木造地蔵菩薩立像 快慶作(メトロポリタン美術館、旧バーク・コレクション)鎌倉時代 木造地蔵菩薩立像(奈良・法徳寺)平安時代 木造地蔵菩薩立像 院湛作(米国個人蔵、メトロポリタン美術館寄託)鎌倉時代 木造文殊菩薩坐像(フィラデルフィア美術館)鎌倉時代 木造菩薩立像(ボストン美術館)鎌倉時代 木造愛染明王坐像 快成作(奈良国立博物館、重要文化財)鎌倉時代、建長8年(1256年) 木造四天王立像(フリーア美術館)鎌倉時代 木造兜跋毘沙門天立像(奈良国立博物館、重要文化財)平安時代 クリーヴランド美術館 如来坐像 フリーア美術館 四天王立像(左:広目天、右:多聞天) フリーア美術館 四天王立像のうち増長天 フリーア美術館 四天王立像のうち持国天 メトロポリタン美術館 地蔵菩薩立像 快慶作
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