1906年の探検
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 01:02 UTC 版)
「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の記事における「1906年の探検」の解説
アルセーニエフは1903年にウラジオストック要塞騎馬狩猟隊の隊長となり、日露戦争後はハバロフスクに転属となった。ロシアでは日露戦争の影響で極東への関心が高まり、ロシア地理学協会は沿海州の長期間調査を計画した。アルセーニエフがハバロフスクに転属となったのも、地理学協会のアムール支部があるためだった。アルセーニエフは地理学協会の要請で、探検隊を組織してシホテアリニ山脈や海岸地帯を調査することになった。軍事的な目的を最優先としつつ、自然科学、地理学、民族学の研究も含まれていた。 アルセーニエフは1906年5月に出発し、タドゥシュ川流域の山中でデルスウと再会した。2人が夜の森林でトラと出会った時には、デルスウはトラに話しかけてからアルセーニエフを連れて引き返し、無事に帰ることができた。アルセーニエフは旅の終わりにデルスウをハバロフスクに誘おうとするが、デルスウは断り、クロテンを狩って暮らすと答える。こうして2人はヴァクウ川のほとりで別れた。1902年と1906年の体験について、アルセーニエフはのちに『ウスリー地方探検記』を著した。 アルセーニエフは1907年の探検でもデルスウの協力を求めることに決める。デルスウは道案内とともに、自然の中での生活術をアルセーニエフに教える師にもなる。1907年から1908年の探検をもとに書かれたのが本書となる。
※この「1906年の探検」の解説は、「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の解説の一部です。
「1906年の探検」を含む「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の記事については、「デルスウ・ウザーラ (書籍)」の概要を参照ください。
- 1906年の探検のページへのリンク