新幹線開通以前の黄金時代
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「山陽本線優等列車沿革」の記事における「新幹線開通以前の黄金時代」の解説
1957年(昭和32年)7月 東京駅 - 博多駅間に「あさかぜ」の補助列車として下りは30分先行、上りは30分後発する時刻に、臨時特急「さちかぜ」を設定。 10月 以下のように変更。「さちかぜ」を定期列車に格上げし、運行区間を東京駅 - 長崎駅間に変更。 「玄海」は京都駅 - 鹿児島駅間運転となり「桜島」に改称。 準急307・308列車は京都駅発着となる。 1958年(昭和33年)4月 山陽本線姫路駅まで電化完成。優等列車は姫路駅まで電気機関車牽引となる。 10月 ダイヤ改正に伴い、以下のように変更。特急列車「あさかぜ」に寝台特急専用車両である20系客車を用いはじめる。 それによって余剰となった客車を用いて東京駅 - 鹿児島駅間に「はやぶさ」を設定。 「さちかぜ」は「あさかぜ」と名前が紛らわしく、誤乗が絶えなかったこともあって「平和」と改称。 急行列車「さつま」は、門司港駅始発と大幅に区間短縮。その本州部分時間帯での代替列車として、広島駅 - 門司駅間に準急407・408列車が設定される。 「桜島」は博多駅までに区間短縮されて「玄海」と再改称。 準急305・306列車は急行列車に格上げされ、「宮島」と命名。 京都駅 - 大社駅間(伯備線経由)に「だいせん」新設。(京都駅 - 岡山駅間は、「宮島」と併結) 1959年(昭和34年)7月 以下のように変更。「平和」に20系客車を導入し、「さくら」と改称。 京都駅 - 大分駅間に、「天草」に門司駅まで併結される形で急行「くにさき」を新設。 9月 以下の準急列車に列車愛称を与える。307・308列車…「ななうら」、405・406列車…「ふたば」、407・408列車…「長門」 1960年(昭和35年)5月 博多駅 - 長崎駅間に気動車準急「ながさき」新設に伴い、「ふたば」は博多駅打ち切り。 6月 以下のように変更。岡山駅 - 博多駅間にキハ55系による気動車急行「山陽」新設。「ふたば」は「山陽」に道を譲って廃止。 「くにさき」は、都城駅まで運行区間を延伸し、「日向」と改称。 東京駅 - 西鹿児島駅間に不定期急行「桜島」を設定。 気動車準急として、岡山駅 - 広島駅間(呉線経由)に「吉備」、岡山駅 - 岩国駅間に「にしき」新設。 7月 以下のように変更。等級制度の改変によりそれまでの一等車が廃されたうえで、二等車が新しく一等車に、三等車が二等車になった。 「はやぶさ」の運行区間を東京駅 - 西鹿児島駅間に変更し、同時に20系客車を導入。 10月 山陽本線倉敷駅まで電化完成。優等列車は岡山駅まで電気機関車牽引になる。 1961年(昭和36年)6月 山陽本線小郡駅 - 下関駅間、鹿児島本線門司港駅 - 久留米駅間電化完成。気動車、客車列車の優等列車に影響なし。 10月 後に年月を取って「サン・ロク・トオ」と呼ばれるほどの、大規模なダイヤ改正が1950年(昭和25年)10月以来、11年ぶりに行われ、全国各地で特急・急行・準急列車が大増発されることとなった。日本の大動脈というべき東海道本線と山陽本線においては、それが特に力を入れて実施されることとなった。このとき、山陽本線三原駅まで電化完成。特急列車「かもめ」がキハ82系を用いて気動車化され、京都駅 - 宮崎駅・長崎駅間(小倉駅まで併結)運転となる。 同じ気動車を用いて大阪駅 - 広島駅間に「へいわ」、大阪駅 - 博多駅間に「みどり」新設。 これらの列車は、キハ82系の6両編成を「かもめ」は2本、「みどり」「へいわ」は1本使用して運転された。これにより、「かもめ」は、食堂車が2両連結されるという今では信じられないような豪華編成となっていた。また、「みどり」は初期故障対策の予備車確保という目的で12月まで運転開始が見送られた。 毎日運転の不定期列車として東京駅 - 熊本駅間に「みずほ」新設。 急行列車気動車急行として広島駅 - 別府駅間に「べっぷ」、客車急行として東京駅 - 大分駅間に「ぶんご」(門司駅まで「筑紫」と併結)、大阪駅 - 佐世保駅間に「平戸」、寝台専用列車として、大阪駅 - 熊本駅間に「ひのくに」、大阪駅 - 広島駅間に「音戸」新設。 「雲仙」と「西海」は併結運転となる。 不定期では、大阪駅 - 博多駅間に「はやとも」、大阪駅 - 南延岡駅間に「第2日向」、大阪駅 - 長崎駅間に「第2玄海」が新設。 「阿蘇」・「さつま」は名古屋駅発着に、「玄海」は長崎駅発着に変更。「宮島」は気動車化。 「だいせん」は併結相手を「宮島」から「さつま」に変更。 急行形のキハ58系気動車が「宮島」「べっぷ」「山陽」などで運転を開始。 準急列車東海型電車とよばれた153系電車によって大阪駅 - 三原駅間に「びんご」、キハ55系気動車によって広島駅 - 小郡駅(現在の新山口駅)間に「周防」が新設され、「長門」も気動車化のうえで小倉駅行きとなった。 この結果、山陽本線の優等列車は下記のようになった。昼行特急列車 定期3往復 「かもめ」 京都駅 - 長崎駅・宮崎駅 82系気動車 「みどり」 大阪駅 - 博多駅 82系気動車 「へいわ」 大阪駅 - 広島駅 82系気動車 夜行特急列車 定期3往復・不定期1往復 「あさかぜ」 東京駅 - 博多駅 寝台列車 20系客車 「はやぶさ」 東京駅 - 西鹿児島駅 寝台列車 20系客車 「さくら」 東京駅 - 長崎駅 寝台列車 20系客車 「みずほ」 東京駅 - 熊本駅 寝台列車 在来形客車(不定期列車。実質は毎日運転) 昼行急行列車 定期6往復 「べっぷ」 広島駅 - 別府駅 58系気動車 「山陽」 岡山駅 - 博多駅 58系気動車 「安芸」 東京駅 - 広島駅(呉線経由) 「筑紫」・「ぶんご」 東京駅 - 博多駅・大分駅 「さつま」 名古屋駅 - 鹿児島駅 「だいせん」 京都駅 - 大社駅(京都駅 - 岡山駅間は「さつま」に併結) 「宮島」 大阪駅 - 広島駅(呉線経由) 58系気動車 夜行急行列車 定期10往復・不定期4往復 「霧島」 東京駅 - 鹿児島駅 「日向」 京都駅 - 都城駅 「ひのくに」 大阪駅 - 熊本駅 寝台列車 「雲仙」・「西海」 東京駅 - 長崎駅・佐世保駅 「玄海」 京都駅 - 長崎駅 「天草」 京都駅 - 熊本駅(筑豊本線経由) 「平戸」 大阪駅 - 佐世保駅 「阿蘇」 名古屋駅 - 熊本駅 「高千穂」 東京駅 - 西鹿児島駅(日豊本線経由) 「音戸」 大阪駅 - 広島駅(呉線経由) 寝台列車 「桜島」 東京駅 - 西鹿児島駅(不定期) 「はやとも」 大阪駅 - 博多駅(不定期) 「第2日向」 京都駅 - 南延岡駅(不定期) 「第2玄海」 京都駅 - 長崎駅(不定期) 準急列車 6往復 「吉備」 岡山駅 - 広島駅(呉線経由) 気動車昼行 「長門」 広島駅 - 小倉駅 気動車昼行 「周防」 広島駅 - 小郡駅 気動車昼行 「にしき」 岡山駅 - 岩国駅 気動車昼行 「びんご」 大阪駅 - 三原駅 電車昼行 「ななうら」 京都駅 - 広島駅(呉線経由) 客車夜行 1962年(昭和37年)4月 広島以西に重点を置いた時間帯設定であった「周防」の利用率が高かったことから、その増発も兼ねて広島駅 - 下関駅間に準急「やしろ」新設。「周防」も2往復に増発された。 6月 山陽本線広島駅まで電化完成。東京駅 - 大阪駅間を運転していた特急「つばめ」2往復のうち1往復が広島駅発着となり、代わりに「へいわ」が運転開始からわずか8ヶ月で廃止となる。 「宮島」は東京駅 - 広島駅間(山陽本線経由に変更)運転となる。さらに電車化されて2往復(東海道区間で昼行・夜行が1往復ずつ)に増発される。なお、「宮島」は日本最長距離運転の定期電車急行 (894.8km) となり、以後、この記録は破られることはなかった。 この両列車は、瀬野駅 - 八本松駅間の急勾配を151系電車、153系電車では出力不足のため自力で登ることができず、上り列車においてはEF61形などの補助機関車を連結して登坂することになった。 「びんご」は2往復に増発。「にしき」は呉線経由となる。 10月 以下のように変更。「みずほ」は定期列車に格上げ。 「音戸」は下関駅まで運行区間を延長。 「さつま」と「だいせん」はそれぞれ単独運転に。「だいせん」は気動車化。 「安芸」は寝台列車化。 1963年(昭和38年)4月 岡山駅 - 広島駅間に、80系電車を使用して準急「とも」2往復新設。「だいせん」は赤穂線経由に変更。 6月 以下のように変更。「みずほ」に20系客車を導入。同時に大分駅発着編成を連結するようになる。 広島駅 - 長崎駅間に気動車急行「出島」新設。(広島駅 - 小倉駅間は「べっぷ」と併結) 10月 大阪駅 - 西鹿児島駅間に、急行「しろやま」新設。 同列車は、九州の重要地である福岡市などを深夜に通過するという、斬新なダイヤを組んだ。 1964年(昭和39年)3月 「べっぷ」と「出島」が分離され、「出島」は呉線の呉駅発着となった。
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