新幹線開業と横軽の廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 23:36 UTC 版)
横軽廃止に先立ち、1993年(平成5年)8月17日に、鉄道施設の一部を「碓氷峠鉄道施設」として国が重要文化財に指定した。 碓氷峠の抜本的な輸送改善は、1997年の北陸新幹線高崎 - 長野間(この区間は2015年3月13日まで長野新幹線として営業)の開通によってなされた。その際、信越本線の碓氷峠区間(横川 - 軽井沢間)は、長距離旅客が新幹線に移行する反面で、県境を越える即ち住環境を跨ぐローカル旅客数が見込めないことや、峠の上り下りに設置する設備の維持に多額の費用がかかるとして、第三セクター鉄道などに転換されることなく廃止された。 代替交通機関として横川駅 - 軽井沢駅間を片道34分で結ぶジェイアールバス関東小諸支店による碓氷線1日7往復の運行に移行した。北陸新幹線は碓氷峠北方にある碓氷峠トンネルを通過する。この区間は 30–‰(約1.7度)の勾配が連続しているため、E2系などの勾配対策を施工した車両のみが入線可能である。新幹線開業後の1997年10月の高崎 - 軽井沢間の1日平均の乗車人員は上下方向で合計およそ30,000人・乗車率 68 % と前年同期に同区間を運行していた信越線特急・あさまと比べて約12,000人増加した。廃止の方針について、群馬県安中市の新島学園高等学校に長野県から通学する生徒の保護者を中心に廃止許可の取消を求める行政訴訟(取消訴訟)が前橋地方裁判所に起こされたが、裁判所は「(廃止の手続きを定めた)鉄道事業法は利用者個々の利益を直接保護するものではない」として原告適格を認めず、訴訟を却下した。東京高等裁判所の控訴審、最高裁判所の上告審も前橋地方裁判所の決定を支持し、却下が確定した。 旧碓氷線の廃線部分11.2 kmのうち、群馬県側の約10 kmは碓氷郡松井田町(現安中市)が買収しており、残り約840 mについても北佐久郡軽井沢町に買取を陳情する動きがあった。廃線跡は廃止前と変わらない状態を保つように管理されており、かつての線路跡が遊歩道「アプトの道」となっている以外にも線路部分が多く残されている(遊歩道区間は、横川駅からラック方式の旧線をたどり旧熊ノ平駅までとなっている。後節も参照)。架線や通信ケーブル等も現役当時のまま残っていたが、現在では横川方の上下線で盗難されたため、現存しない。碓氷峠鉄道文化むらでは、横川駅側の廃線跡を利用して、かつて使われていた保守機関車500Aなどを走行させている。
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