新幹線開業後の「東海」と周辺列車群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:26 UTC 版)
「東海 (列車)」の記事における「新幹線開業後の「東海」と周辺列車群」の解説
1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線開業によるダイヤ改正により、以下のように変更。特急「おおとり」を廃止。なお、「おおとり」の名称は新設の函館駅 - 網走駅・釧路駅間特急(現「オホーツク」・「おおぞら」・「北斗」の前身)へ転用された。 「東海」の昼行1往復を廃止。 1965年(昭和40年)4月:「東海」に連結する一等車がリクライニングシートのサロ152形となる。 10月1日 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。「東海」の昼行・夜行各1往復と「はまな」「ながら」廃止。「東海」は昼行4往復体制となる。「ながら」に関しては、廃止以後も「大垣夜行」の設定まで臨時夜行急行「ながら3号」として残った。 「するが」は修善寺駅(伊豆箱根鉄道駿豆線) - 三島駅 - 大垣駅間運転の臨時準急へ格下げ。ただし、臨時列車ながら毎日運転された。この時、「するが」の編成は大垣電車区に移管されたため、宮原電車区の「鷲羽」編成の広域運用は廃止となった。 1966年(昭和41年)3月5日:国鉄旅客運賃制度の改定に伴い「東海」「するが」「日本平」は急行列車に昇格。 3月25日:「するが」が再び定期列車となり「中伊豆」(なかいず)と改称。 9月25日:「日本平」が廃止。
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