新幹線駅名称決定の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:06 UTC 版)
「上越妙高駅」の記事における「新幹線駅名称決定の経緯」の解説
北陸新幹線の建設計画が発表された時点では、上越市に設置される駅の仮称は「上越駅」とされた。上越駅はJR東日本が管理するため、駅名の決定権は同社が有するが、所在地の上越市と妙高市、新潟県上越地域振興局の行政側と、上越商工会議所、公益社団法人上越観光コンベンション協会、一般社団法人妙高市観光協会の両市経済関係者などから成り、北陸新幹線開通に関連する各種施策の検討を進める組織として2011年(平成23年)4月に設立された「新幹線まちづくり推進上越広域連携会議」は駅名等検討部会を設置し、地元行政側から提案する駅名に加え、駅舎東西の出入口と自由通路の名称について検討作業を進めることとなり、同年5月24日に第1回部会が開かれた。 同年7月15日から9月16日まで2か月間にわたり駅名の公募を実施した結果、全国から応募総数11,863通、3,150種類の名称案が寄せられた。集計の結果、仮称と同じ「上越」が最も多く、全体の12%を占める1,425通を集めた。次いで「妙高高田」が624通、以下「上越妙高」が423通、「妙高上越」が374通、「越後高田」が353通などであった。 この連携会議が主催する公式の駅名公募アンケートとは別に、上越市の市名に異論を唱える市民団体を母体に組織された「新幹線駅名を考える会」が2010年秋から上越・妙高両市の街頭等で36,371人を対象に、予め設けられた5つの選択肢と自由記載による方法で駅名に関する非公式のアンケートを実施した結果、「越後高田」が全体の29.6%を占める10,743件と最も多かった。同会では2011年9月、広域的な地域イメージや経済効果、観光振興などを総合的に検討した結果として上越市と連携会議に対し、アンケートで3番目に多い4,242件を集めた「妙高高田」を要望した。この駅名は妙高市南部に既存する妙高高原駅と混同する恐れがある一方で、同会側は「高田」について「(新駅所在地の)旧:高田市の『高田』ではなく、高田藩の統治下で行き届いたところの全域の広域なエリアの地名」と説明していた。 検討部会では、駅名に市名の「上越」を加えた場合には市域から離れた地域を経由する上越線や上越新幹線などと混同する恐れが生じる点や、隣接する妙高市に加え、地域のシンボルで観光面での認知度も高い妙高山を表す「妙高」を駅名に加えるべきか否かなどについて、通算10回にわたり駅名に関する部会を開いて慎重に検討し、また同年11月6日には市民意見交換会を実施するなど意見の集約を進めた。 2012年1月17日の第8回部会で、名称案は、「上越」、「『上越』の前か後に何らかの言葉を付け加える」、「妙高高田」の3案に絞り込まれた。しかし2月2日に開かれた第9回部会では、12人の委員のうち8人が「『上越』か『上越』を入れた駅名」、妙高市側の委員2人が「『妙高』を入れた駅名」、1人が「検討中」とした一方、前掲「考える会」会長が「我々はあくまで上越には反対する。この会で『妙高高田』が採用されない場合はJRに直接出向いて提言する」と強硬な姿勢を示したため議論は膠着し、最終案を決定する第9回部会では一案に絞るか、複数案を提案するかを含めて議論することになった。また妙高市側からは「駅名に『妙高』を入れるべき」との要望が寄せられた一方で、上越市側の一部委員の間には「『上越』以外の単語を加えるべきではない」との強硬論があった。延伸開業区間内の3つの新駅のうち、富山県の黒部宇奈月温泉駅と新高岡駅の場合、地元側からJR西日本側には複数の駅名案が提出されたのに対し、上越の場合は「一つの駅には一つの名前しか付けられない」として、JR東日本側へ提出する駅名案を一案のみに絞る基本方針を取り続けたことも議論が膠着する一因となっていた。 そして最終案をまとめるため開かれた2月14日の第9回部会では、1人の委員が「『上越』を入れずに『高田』を入れるべき」との主張を続けた一方、ほかの委員からは「『上越』は上越市周辺地域全体を示すもので、目的地として市名を入れるべき」「上越新幹線と紛らわしいが、逆にここが上越であることをアピールすべき」との意見もあり、結局駅名に「上越」を入れる基本方針が決まった。さらに「上越」に何らかの単語を加えるか否かについては前述の「妙高」のほか、上杉謙信の生誕地であることに因む「謙信」などの案があったが、結局「妙高」を加える案で一本化された。しかし最終案では「上越」単独を推す意見と「妙高」を付加する意見との間でまとまらず、結局複数案を提案するとの結論に至り、「妙高」を付加する駅名案については「上越市に所在するため『上越』を先にし、隣接する妙高市と妙高山を表す『妙高』を後に置く『上越妙高』とする」との案で一致した。部会長で上越教育大学副学長(当時)の佐藤芳徳は「ラグビーで言えばノーサイドというのがあるが、問題をいつまでも引きずらず、決まった駅名で地域が一丸となって盛り上げる形にしていただきたい」と総評を述べた。 3月22日の第10回部会で「第1案『上越駅』、第2案『上越妙高駅』」と序列を付けた名称案の最終意見が決定し、4月10日の連携会議2012年度第1回総会において報告された。当日配布されたJR側への要望書の文案は部会の結論通りだったが、総会では当初から示していた「多数決での採択はしない」との方針を踏襲して最終的な議論が進められ、妙高市長(当時)の入村明から「序列を付けず、2案を併記してもいいのではないか」と提案が出されたのを受け、連携会議会長で上越商工会議所会頭(当時)の田中弘邦が「JRと交渉する際には幅を持たせて両論を併記した方がやりやすい」として出席者の同意を求めたうえで「序列を付けずに『上越駅』と『上越妙高駅』の2案を併記する」との最終報告が決議された。連携会議ではこれを基に、同年5月29日にJR東日本新潟支社に、さらに8月7日にはJR東日本本社に対し駅名に関する要望書を提出した。一方「考える会」側は同日、JR東日本新潟支社に対し独自に「妙高高田駅」を要望する活動を行った。 2013年6月7日、JR東日本とJR西日本は延伸開業区間内の3つの新駅の名称を発表し、このうち上越駅の名称は地元行政側が要望した2案のうち「妙高」を付加する案が採用され「上越妙高駅」に決定した。JR東日本広報部は「上越は駅所在地の市名であり、妙高は知名度の高い観光地で、且つ隣接している市名。地元側から要望があった名称案でもあったので『上越妙高』に決定した」と理由を述べた。 駅名決定に際し、田中は「仮称の駅と正式駅名では与えるインパクトが違う。新幹線開業への臨場感が高まり、特に観光業界はPR強化の絶好機だ。駅名決定を取り組みの推進力としたい」、上越市長(当時)の村山秀幸は「よかった。100年先も愛されるよう、地元と訪れた人が一緒になって大事にしていきたい。(『妙高』が付いたことに関しては)地域が一体となってPRできる」、入村もコメントで「全国的に通用する『妙高』が入ったことは大変喜ばしい。観光面での広域連携がますます必要となる」と、いずれも歓迎の意向を示した。一方、委員の1人は記者会見を開き「市民の声がJRに届かず残念」としながら「『妙高』が名称に反映されたことは、運動の影響があったのかと思っている」と述べた。その後、新幹線駅舎では同年9月から11月上旬にかけ、東西の壁面に駅名標を設置する工事が行われた。
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