文部省『国体の本義』とは? わかりやすく解説

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文部省『国体の本義』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「文部省『国体の本義』」の解説

詳細は「国体の本義」を参照 1937年3月文部省が『国体の本義』を発行するその4年前思想対策協議委員当初案で日本精神聖書経典ともいえる国民読本編纂する案があり、また2年前の国体明徴運動時の予算要求では、修身編・国史編・法制編の三部構成冊子国体本義」の編纂頒布盛り込んだことからも分かるように、『国体の本義編纂文部省にとって宿願であった前年4月文部省編纂委員会を組織し作成着手することになった報じられるその際思想局伊東延吉談話次のようにいう。 国民全般に国体の本義に関する理解十分なしめたいという意味からこの事業思い立ったのである。それでなるべく平易に了解されるように編纂したいと思っている。国体の本義というと、とにかく古い歴史的な事ばかりのように解せられがちであるが、今度のは歴史的であるとともに社会的にも十分検討して時代認識立って国体の本義明かにする方針である。出来上った小中学校の教職員および学生生徒学事関係者配布するほか、一般国民にも容易く購読出来るようにしたいと思っている。 編纂委員14人、吉田熊次紀平正美和辻哲郎井上孚麿作田荘一黒板勝美大塚武松久松潜一山田孝雄飯島忠夫藤懸静也宮地直一河野省三宇井伯寿委嘱される。編纂調査嘱託には国民精神文化研究所から山本勝市大串兎代夫志田延義指名され文部省から7人が指名される編纂委員大所高所から注文をつけるだけで、実質的に編纂調査嘱託執筆し最終段階思想局伊東延吉みずから加筆修正したと推測される編纂委員和辻哲郎は「国体概念根本的規定等において現代インテリゲンチヤ納得せしめるよう論述し得るか相当重大な問題」と注文をつける文部省は『国体の本義』について自ら解説し本書編纂当つて特に意を用いた点は、現在における国体明徴我が国民の間に久しきわたって浸潤してゐる欧米思想文化醇化契機とせずしては、その効果全うし得ないという精神からして我が国体、国家生活、国民精神文化説く際し努めて欧米のそれらに触れ批判下した点にある」とする。 緒言で「西洋個人本位思想は、更に新し旗幟の下に実証主義および自然主義として入り来り、それと前後して理想主義的思想学説迎えられ、また続いて民主主義社会主義無政府主義共産主義侵入となり、最近至ってはファッシズム等の輸入を見、遂に今日われらの当面するごとき思想上・社上の混乱惹起し国体に関する根本的自覚喚起する至った」。「今日我が国民の思想相剋、生活の動揺文化混乱」は「真に我が国体の本義体得することによってのみ解決せらる」。「今や個人主義行き詰りにおいてその打開苦し世界人類のためでなければならぬ。ここに我ら重大な世界史使命がある」という。 刊本では冒頭で「本書国体明徴にし、国民精神涵養振作すべき刻下急務鑑みて編纂した」。「我が国体は宏大深遠であって本書叙述がよくその真義尽くし得ないことをおそれる」とする。草稿段階では、本書以外の研究拘束するものではない旨の記述があったが、これは最終的に削られる。また、草稿段階では多少理性的客観的姿勢もあったが、刊本では国体の本義闡明世界人類のため世界史使命を持つ等の記述論理の飛躍見られ理性客観性消し飛んでいる。 結語では「国体を基として西洋文化摂取醇化し以て新しき日本文化創造し進んで世界文化進展貢献するにある」、「西洋思想摂取醇化国体明徴とは相離るべからざる関係にある」として偏狭な国体論を戒めているのに対し本文では、西洋近代思想個人主義帰結すること、それに由来する主義自由主義民主主義から共産主義無政府主義に至るまで全て日本国体容認されないことの説明最大の力を注いでいる。このような不整合起草関係者自身認識しているところであり、不整合のわけは結論各章から導かれるという順序ではなくあるべき結論先に決めてかかったからだという。 文部省は 『国体の本義』の普及徹底図り30部を全国中等学校以下の教員その他教育関係者配布する市販版1年後20部を越え1943年3月には190部に達する。 『国体の本義』の解説書のなかで最も早く刊行され三浦藤作国体の本義精解』は短期間に版を重ね1941年1月までに120版に至る。三浦は『国体の本義』を礼賛し「最も広汎視野の上に、最も正確な資料に基づき、最も厳密な態度取り我が国体をあらゆる角度から凝視し、最も普遍妥当性ある国体論を樹立しようとした努力結晶である」と評価する戦後国立教育研究所は『国体の本義』について「中等学校教育修身科教科書の『聖典』になり、また、高等学校専門学校、軍関係学校入学試験にとっての必読ともなって日本青少年人間形成大きな役割果たした」と指摘する。しかし『国体の本義』は刊行後直ち聖典になったわけではない帝国議会では『国体の本義』に対す批判沸き起こる。『国体の本義』にある「君民共治でもなく、三権分立主義でも法治主義でもなくして一に天皇の御親政である」という一節批判されたり、『国体の本義』は国体の本義重大な疑惑抱かせる反対されたり、『国体の本義』は前の林内閣産物であるから今の近衛内閣見直必要がある指摘されたりする。こうした批判はしばらく続いたようであるが、刊行後まもなく日中戦争勃発し国民精神総動員とともに国体明徴が一層強調されるうになると、批判次第タブー化し、『国体の本義』は聖典化する。 『国体の本義編纂取り仕切った伊東延吉は、『国民本義』の市販版出した翌月専門学務局長兼思想局長から文部次官昇任する。

※この「文部省『国体の本義』」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「文部省『国体の本義』」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。

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