文部次官通達とイールズ声明とは? わかりやすく解説

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文部次官通達とイールズ声明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 04:37 UTC 版)

全日本学生自治会総連合の歴史」の記事における「文部次官通達とイールズ声明」の解説

6月全国学園スト9月全学連結成受けて10月8日文部省次官名で政府学生運動対するはじめての方針である「学生政治活動について」通達発し、この通達の「学校学問教育ノ場デアッテ、政治闘争舞台デアッテハナラナイ。」「カカル秩序ヲ乱スヨウナ学校内政治活動ハ許サルベキデハナイ。」「特定政党支部又ハ之ニ類スル学外団体支部学内ニモツコトハ極力回避サルベキデアル。」 という内容その後大学の学生運動対応の指導原理となった第二組合として「私学連」が結成されたが振るわなかった。長野師範学校では細胞解散自治会全学連からの脱退強要し学校内外にかかわらず政治活動行わないという誓約書学生に書かせ、従わない29学生退学などの処分付し、これが戦後学生運動史上はじめての大弾圧事件となった長野師範学校事件、のちに占領軍軍政部の介入があり学生側法廷闘争でも敗北した)。このように次官通達受けて大学共産党細胞解散する最中文部省大学法要綱大学法案)の国会提出図った国立大学学長会議日本学術会議日本教職員組合日教組)が反対表明する中、全学連は独自の大学法案を発表し、それとともに九州学連先頭全国的なストライキを以て反対闘争打って出たこのなかで学生運動民主化同盟(学民同)による反全学連運動少数ながら発生した全学連大量処分対しゼネスト対抗したが、これは日共中央の路線とも相いれないものであった。それらの反対運動によって、政府大学法の上程を断念しあらたに設置され大学管理法起草協議会全学連からも意見聴取をすることとなり、全学連結成最初闘争勝利を収めたこのころまでは労働運動農民運動とは異なり学生運動に対して政府による組織的な解体策動存在しなかった(このことが、全学連が後に労働者農民市民欠いた前衛」となることの布石となる)。 朝鮮半島情勢緊張伴って強められ反共政策一環として1949年4月吉田内閣団体等規正令公布施行しレッドパージ開始された。占領軍反共学生への弾圧強め7月19日新潟大学皮切りにCIE顧問イールズ全国大学派遣し赤色教官スト学生追放」を訴えさせた(イールズ声明)。共産党学生に「同盟登校」を命じ全学連中央闘争委員会レッドパージに「人民と共に教育防衛する」べくゼネストを以て闘うことを決議した。各大学ではこのイールズ声明への学生による反対闘争巻き起こり全学連は「全面講和と全占領軍撤退イールズ声明反対レッドパージ反対」のスローガン掲げてストライキ闘った5月28日から30日商大講堂での全学連第2回大会では、「①ストックホルム・アピール百万署名中心にした平和擁護運動②軍基地反対全面講和、全占領軍撤退闘争イールズ声明撤回レッドパージ反対闘争授業料育英資金、その他部分的要求闘争学生戦線統一、労学共闘強化」の方針決定し国際学連への加入手続きもとった。この反対姿勢によって、8月全学連団体等規正令適用を受けることとなる。1950年に入ると朝鮮戦争勃発に伴いデモ禁止レッドパージが行われる中で、全学連非常事態宣言発し平壌放送通じて朝鮮学生メッセージを送るなどした。また、9月から10月にかけてはレッドパージ反対のために「9・30駒場」をはじめとする試験ボイコットゼネスト実施した。各大学当局ロックアウトによって警官隊との衝突回避しよう試みた反対運動は鎮まらず、天野文相はついに大学内のレッドパージ撤回することとなった。ただし、この闘争の中で早稲田大学事件での処分中央大学などの脱退などがあり、全学連闘争表面的な華やかさ失いつつあった。全国2万人以上とも言われるレッドパージ吹き荒れる中で、学生運動のみが勝利を勝ち取ったとされる。これは、大学治外法権地位と、運動の爆発的高揚起因するものであった1949年11月2日から3日大隈講堂開かれた第3回大会ではすでに日共中央全学連とのかい離見え始め関東代議員70パーセント(全代議員40パーセント)が日共大会中止指示受けて大会欠席している。 初期全日本学生自治会総連合は、日本共産党の強い影響の下で、反レッドパージ闘争朝鮮戦争反対闘争全面講和運動などを行った。この時期全学連活動した者には、後の日本共産党議長不破哲三副委員長上田耕一郎兄弟、後の日本社会党副委員長高沢寅男第3回全学連中央委員会委員長選出され京大天皇事件引き起こした米田豊昭や映画監督大島渚田中角栄秘書なる早坂茂三などがいた。

※この「文部次官通達とイールズ声明」の解説は、「全日本学生自治会総連合の歴史」の解説の一部です。
「文部次官通達とイールズ声明」を含む「全日本学生自治会総連合の歴史」の記事については、「全日本学生自治会総連合の歴史」の概要を参照ください。

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