文部省の初期対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
3月には文部省が省議で、国体明徴に関して時局対策施設費10万円をもって講演会開催やパンフレツト頒布を行い、学制改革に関して国史・修身・読本の授業方法について考慮すると決定する。 4月に内務省が美濃部の著書5冊の発禁などの行政処分を下すと、文部省は全国の教育関係者に「国体明徴に関する訓令」を発し、いやしくも国体の本義に疑惑を生じさせるような言説は厳に戒め、常に国体の精華の発揚を念頭におくべきことを指示する。この訓令は教育の現場で評判が悪かったという。教育現場では国体明徴について既に「国体観念の涵養」などの表現をもってその実施に努めていたという自負があったからである。文部省はこの程度の訓令で事を済ます気でいたが、国体明徴問題は軍部を巻き込んでヒートアップする。 5月に陸海軍大臣からの要求を受け、文部省は国体明徴に照らして小学校の国語や修身の教科書を修正することを表明する。 6月松田文部大臣は地方長官会議で訓示して「ますます国体の精華を発揚すべきこと」「あまねく我が国体の万邦に比類なき所以を体得せりむるように指導せられんこと」を強調するが、機関説排撃を明言しない。
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