文部省の方針転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
事態は文部省の楽観的見通しを裏切って機関説排撃の国体明徴運動が勢いを増す。7月に文部省は方針を転換する。文部省は全国の学校長ら350名を対象に5日間の憲法講習会を開く。金子堅太郎「帝国憲法制定の精神」、筧克彦「帝国憲法の根本義」、西晋一郎「日本国体の本義」、牧健二「帝国憲法の歴史的基礎」、大串兎代夫「最近に於ける国家学説」である。この連続講習は、たとえば日本法制史の牧健二が「帝国憲法の成立はどうしてもこれを国史に顧みて研究しないと判らない」「日本の歴史を一貫して国家の規範として現れた光輝ある国体を顧みて理解されなければならない」としつつ、「帝国憲法における国体を明徴ならしめることは、同時に立憲政治をして真にその価値を発揮せしめる所以でもあります」と述べるなど、必ずしも機関説排撃一辺倒であったわけではない。 つづいて文部省は全国学校の法制経済科・修身科の担任教員と学生生徒主事を合計177人招集して協議会を開く。文部大臣がその席上で「一方においては国体の本義に疑惑を生ずるがごとき言説は厳にこれを戒むるとともに、一方においては積極的に我が国体に則りたる憲法学の発展完成に向かって努力すべき」と訓示し、機関説排撃を明言するとともに日本憲法学の確立に論及する。この協議会の議題は、法制経済科や修身科の授業に国体明徴の効果を挙げる方法であり、それはおおよそ次のような結果になる。 法制科においては、憲法発布の際の御告文・勅語・上諭を明らかにし、これにもとづき講義する。 今後は教師みずから国史を充分に研究して、もって我が国体の真義を体得する。 国体の明徴は歴史の正しい認識にもとづくため、文科方面はもちろん、理科方面(進化論など)でも国史の真髄を理解させる。 諸外国と比較研究することにより我が国の尊厳性を把握させる。 国体の明徴を期するには知育偏重を排して徳育を重視し、理論より実践の指導に努める。 ここに全国の思想教育担当者を集めて機関説排撃と国体明徴の徹底について意思統一がなされたことは文部省の教学統制上の画期である。 文部省は各種講習会を多数開催し、国体明徴の徹底を図る。読売新聞はこれを皮肉って「国体明徴の徹底に講習会を盛んに開くそうである。いかに叩き込んだところで消化が出来なければ国民の栄養にはなるまい。文部省あたりの明徴から出直してかかる必要はないか」というコラムを載せる。 1936年度文部省予算の当初案では各帝国大学に国体講座を設置する計画があった。読売新聞の報道によれば、各大学は国体について憲法学の一部として講義しているだけである。国体の本義を講義すべき国法学も大部分は各国の学説を研究する比較憲法学のようである。国体観念を史的に観察する法制史も各教授が特定の時代の専門研究に走りすぎている。文部省はこれらの点を遺憾とし、何としても国体の本義に関するまとまった講座を新設する必要を痛感している、という。しかし、おそらく適任者も見つからないためこの段階では国体講座の開設は見送られる。
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