文部省による改変
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 20:28 UTC 版)
3番は出版前の1881年(明治14年)の段階では 「 つくしのきはみ みちのおくわかるゝみちは かはるともかはらぬこころ ゆきかよひひとつにつくせ くにのため 」 という歌詞だった。これを文部省でチェックしたところ、普通学務局長の辻新次から「かはらぬこころ ゆきかよひ」という部分が男女の間で交わす言葉だという指摘が出たために、翌年まで刊行が延びた。奥付は1881年(明治14年)11月であるが、実際に刊行されたのは1882年(明治15年)4月のことである。 4番の歌詞は、領土拡張により文部省の手によって何度か改変されている。 千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり(明治初期の案) 千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり(千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて) 千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり(日清戦争による台湾割譲) 台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり(日露戦争後)
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