文部省の対応
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1934年6月文部省は学生部を昇格し思想局に改組する。思想局は創設の翌月に思想問題に関する資料展覧会を開催し、その目録で「国民全体が深く我が国体の精華と国民精神の本義とを自覚し、いやしくもこれに背反するがごとき思想は一刻一片も存在を許容せざる覚悟を有することが必要である」と訴える。さらに11月に『思想局要項』を刊行し、「根本的対策」として「今日我が国思想問題に対する根本的対策としては我が国独自の国体観念、国民精神の真の体得に努め、我が国固有文化の発揚を図り、これに基く教育学問の振作創造につとめ、外来思想の咀嚼摂取に意を用い、マルキシズム等の謬れる思想の矯正根絶を期し、以って現下の時勢に処し国民のむかう所を明らかならしむる」ことを思想局の第一の役割として自認する。 1934年9月、吉田熊次が国民精神文化研究所の研究部長に就任する。かつて吉田は同所発足時に所長就任を要請されたときはこれを断っていた。吉田は「思いつきや神がかりの国体論」を厳しく批判したという。吉田が研究部長就任にあたり「我が国の思想界・学界は世界のあらゆる主義・主張を包容するがゆえに、これらを融合し整理して、我が国民精神を培養することが特に本研究部の任務でなければならぬ」と述べたのは、おそらく同所事業部長紀平正美に代表される「思いつきや神がかりの国体論」を牽制したものとみられる。 地方の学校では危険思想を未然に防ぐため思想調査が行われる。極端な事例は鳥取県立倉吉高等女学校が1935年10月に発表した「思想調査案」である。これは国体観念の調査を全学年の課題とし、女子生徒に「皇室の御恩徳について最も感激したこと」「国史を学んで我が国体が最も有難いと感じたこと」「今までに読んだ書物や聞いた御話の中で国体に関し最も関心したこと」「現代の社会で我が国体の有難さを強く感じたこと」「国体に関して疑問があれば述べよ」と試問して思想性向を調査し、各学期に性向調査会を開き、その結果を性向調査簿に記入する。女子生徒が町内の書店で購入した書籍雑誌までも調査する。
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