文部省の対応とは? わかりやすく解説

文部省の対応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)

国体」の記事における「文部省の対応」の解説

1934年6月文部省学生部昇格し思想局改組する。思想局創設翌月思想問題に関する資料展覧会開催し、その目録で「国民全体深く我が国体の精華国民精神本義とを自覚しいやしくもこれに背反するがごとき思想一刻一片存在許容せざる覚悟有することが必要である」と訴える。さらに11月に『思想局要項』を刊行し、「根本的対策」として「今日我が国思想問題対す根本的対策としては我が国独自の国体観念国民精神真の体得努め我が国固有文化の発揚図り、これに基く教育学問の振作創造につとめ、外来思想咀嚼摂取意を用いマルキシズム等の謬れる思想矯正根絶期し以って現下時勢処し国民のむかう所を明らかならしむる」ことを思想局第一役割として自認する1934年9月吉田熊次国民精神文化研究所研究部長に就任する。かつて吉田同所発足時所長就任要請されたときはこれを断っていた。吉田は「思いつき神がかり国体論」を厳しく批判したという。吉田研究部就任にあたり我が国思想界・学界世界あらゆる主義・主張包容するがゆえに、これらを融合し整理して我が国精神培養することが特に本研究部任務なければならぬ」と述べたのは、おそらく同所事業部長紀平正美代表される思いつき神がかり国体論」を牽制したものとみられる地方学校では危険思想未然に防ぐため思想調査が行われる。極端な事例鳥取県倉吉高等女学校1935年10月発表した思想調査案」である。これは国体観念調査全学年の課題とし、女子生徒に「皇室御恩徳について最も感激したこと」「国史学んで我が国体が最も有難い感じたこと」「今まで読んだ書物聞いた御話の中で国体関し最も関心したこと」「現代社会我が国体の有難さ強く感じたこと」「国体に関して疑問があれば述べよ」と試問して思想性向を調査し、各学期性向調査会開きその結果性向調査簿に記入する女子生徒が町内の書店購入した書籍雑誌までも調査する

※この「文部省の対応」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「文部省の対応」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。

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