文部省『新教育方針』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
1946年5月21日、文部省が『新教育指針』を刊行する。これは歴史教科書の使用禁止にともなう暫定的措置として教師用参考書を企図してつくられた。GHQからはデモクラシーと連合軍進駐の意義目的を明確にすることを指示された。その最終章では「軍国主義や極端な国家主義はあとかたもなくぬぐい去られ、人間性・人格・個性にふくまれるほんとうの力が、科学的な確かさと哲学的な広さと宗教的な深さとをもってあまねく行われて、平和的文化国家が建設せられ、世界人類は永遠の平和と幸福とを楽しむであろう」と述べており、宗教性を帯びた理念として戦後民主主義の確立と戦前の教学錬成体制の解体とが謳われる。もっとも教学錬成体制が無条件で解体されるわけではない。国体明徴が「軍国主義者および極端な国家主義者」に誤って導かれたことが問題とされており、国体明徴そのものについては次のように肯定的である。 教育においても「国体明徴」とか、「教学刷新」とか、「皇国の道に則る国民錬成」とかがさかんに説かれて、制度も教科書も方法もあらためられ、また教学局や国民精神文化研究所というような機関がつくられたり、「国体の本義」、「臣民の道」、「国史概説」などの書物が出されたりした。これらは、日本国民がいつまでも西洋のまねをすることをやめて、自主的態度をもって、国体を自覚し国史を尊重し、国民性の長所を生かして、特色ある文化を発展させ、世界人類のためにつくそうとするかぎり、正しい運動であった。 これに関連して「極端な国家主義」と「正しい愛国心」を区別については、「軍国主義者および極端な国家主義者」さえ排除すれば、「正しい愛国心」すなわち「国体を自覚し国史を尊重し、国民性の長所」を生かすことは「正しい運動」とされる。ここには文部省自身が「軍国主義者および極端な国家主義者」であったことの自覚や自責を窺えないといわれる。
※この「文部省『新教育方針』」の解説は、「国体」の解説の一部です。
「文部省『新教育方針』」を含む「国体」の記事については、「国体」の概要を参照ください。
- 文部省『新教育方針』のページへのリンク