文部大臣罷免とは? わかりやすく解説

文部大臣罷免

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 16:17 UTC 版)

藤尾正行」の記事における「文部大臣罷免」の解説

1986年第3次中曽根内閣文部大臣任命されるが、入閣直後歴史教科書問題関連して戦争で人を殺して殺人(罪)には当てはまらない」「東京裁判勝者裁判であり不当。」「韓国併合合意の上形成されたもので、日本だけでなく韓国側にも責任がある」等の対談中の発言月刊誌文藝春秋』(1986年10月号)に掲載され野党はじめとする左派から「放言大臣」と非難された。大韓民国中華人民共和国反発憂慮し中曽根首相は、藤尾自発的な閣僚辞任求めるが、藤尾が「発言問題にするのであれば罷免すればよい」と主張して辞任拒否したため、中曽根罷免権発動し藤尾文部大臣罷免した。 この際官邸前もって対談における藤尾発言内容把握しており、内閣官房長官後藤田正晴9月3日10月号は9月10日発売)に、文藝春秋外務省アジア局長藤田公郎を派遣藤田文藝春秋対し、2か所の削除訂正申し入れた文藝春秋側(当時編集長堤堯)はこれを拒否し内容証明をもって中曽根首相後藤田官房長官対し事前検閲であり憲法違反だとして抗議行った藤尾自身後年、この発言について「(風見鶏揶揄されていた中曽根の)その場しのぎ外交一石を投じる意図であえて行った」と主張した中曽根藤尾罷免したことについて、小林よしのりは『戦争論2』のなかで「中曽根韓国ご機嫌を取るために藤尾氏を罷免」したと述べている。一連の言動から藤尾を「信念の人」として評価する声がある一方、この発言により韓国中国から「極右妄言政治家」として見られるようになった。 なお、罷免され直後自身発言反響や、記者時代回想をも交えた放言大臣 再び吠える」が文藝春秋1986年11月号)に掲載され、同稿は翌年文藝春秋読者賞受賞した。翌1987年6月に、評伝剛直怒濤現代政治家藤尾正行 それからの100日 近日本歪み衝く』(近代政経研究会)が出版された。 当時、同じ安倍派議員だった亀井静香は「背景にはそもそも中曽根さんの日和見的な行動対する、藤尾さんの疑念わだかまりがあったのだと、俺は見ている。佐藤内閣後の総選挙で、角さん福田さんが決選投票一騎打ちになったときだ。それまで福田さんは、同じ上州中曽根さんは必ず応援してくれると思っていた。ところが角さんからのカネなびいた中曽根さんは直前田中支持回り福田さんは敗れてしまった。恩師裏切られているのを間近に見ていた藤尾さんは、実に無念だったに違いない大平内閣不信任決議大平さんに退陣要求をした中曽根さんがやってきてこう演説をぶった。「君たちやっていることは正しい。いい決心だ。」ところがだ。さっきまで一心同体思っていた中曽根さんは議場に入るなり、不信任反対票に投じたんだ。結果俺たち福田派欠席したために、採決可決され納得できない大平さんは衆議院解散いわゆるハプニング解散になったが、中曽根さんの変節っぷりに派内は皆唖然としていた。おそらく次期総裁を睨む中曽根さんからすれば田中派に恩を売ろう思って行動だったのだろう。「風見鶏と言われ中曽根さんと、一徹な藤尾さんは相容れない出世より自分主義義理重んじ生涯同じ主君仕えた藤尾さんのような政治家は、今はなくなってしまった。」と回顧している。

※この「文部大臣罷免」の解説は、「藤尾正行」の解説の一部です。
「文部大臣罷免」を含む「藤尾正行」の記事については、「藤尾正行」の概要を参照ください。

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