放送通信教育とは? わかりやすく解説

放送通信教育

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:19 UTC 版)

東洋大学」の記事における「放送通信教育」の解説

東洋大学では1950年代後半テレビジョン使用した学内教育およびを実現するための研究が行われていた。文学部社会学科米林富男を中心に大学教育におけるテレビ利用研究が行われていたが、その後遠隔地での大学通信教育テレビ使用する研究中心となっていった。1950年代当時在日米軍使用していたVHF12チャンネル返還されるらしいという情報元に東京証券取引所会員証券会社は、証券取引に関する情報東京都内の各証券会社支店配信するために日本証券テレビ設立検討していた。東洋大学では日本証券テレビ空き放送時間帯利用して大学通信教育実施しようという計画持っていた。さらにテレビ放送同時にラジオ放送による通信教育検討されており、1958年7月には超短波FM試験電波割り当て申請行っている。12月20日東洋大学学内放送用スタジオ設置した際には超短波でテレビ・ラジオともに試験放送送出可能な設備設置された。まずは超短波放送からスタート将来的にはテレビ放送実施してラジオ・テレビ両面から勤労学生社会人学習できる環境構築しようという壮大なものであった。この構想自体は、各大学大学教員教鞭をとり、テレビFMラジオ講義実施している現在の放送大学とかなり酷似しているが米林構想母体となっているかどうか不明である。また、米林論文によれば将来的には首都圏の各大学が得意とする分野分担して担当する大学教育放送局を立ち上げる構想もあり、塩狩北海道)・仙台大阪福岡支局をつくるという具体的なプランまで示されていた。さらに文部省はこの構想興味示しており、実際に1958年までの数年間にわたって研究助成金を出していた。また、郵政省電波行政観点から大学による教育放送局に賛成しており、東洋大学東海大学試験局には一部補助金拠出していた。 その後超短波FM放送試験放送自体実施されたが、日本証券テレビ構想挫折郵政省文部省の方針転換、VHF12チャンネルがなかなか返還されなかったことなどが重なったことからテレビ放送断念することとなった当初よりラジオのみの構想であった東海大学FM東海から実放送局(→FM東京現在のTFM)へ発展できたとは異なりテレビ放送念頭に置いていた東洋大学構想縮小余儀なくされ、学内ケーブルテレビ使用した学内向けの放送授業転換することとなった

※この「放送通信教育」の解説は、「東洋大学」の解説の一部です。
「放送通信教育」を含む「東洋大学」の記事については、「東洋大学」の概要を参照ください。

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