技法面での特徴
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「時をかける少女 (1983年の映画)」の記事における「技法面での特徴」の解説
オープニングの「A MOVIE」の字幕の前に出る、「ひとが現実よりも理想の愛を知ったとき、それはひとにとって、幸福なのだろうか?不幸なのだろうか?」という言葉は、筒井原作にも剣持脚本にもない大林が自身の撮影台本の1頁に書き記したもの。 巻頭のシークエンスでスキー場の後、汽車に乗って平野を走る場面で、モノクロ画面が風景の一部ずつからカラーになるという技法は、フランス映画『悲しみよこんにちは』からで珍しくないが、画面の中央だけがカラーで端がモノクロという技法はこの映画が最初ともいわれる。 このシーンは時計屋の男として出演する大林の盟友・高林陽一の8ミリ映画『すばらしい蒸気機関車』の中から、幾つかのカットを使用する案があったが流れた。列車の窓から見える菜の花畑は黄色いタオルを敷き詰めたもの。走る列車はミニチュアでの撮影を予定していたが機材トラブルでNGとなり、スタッフが電車の中吊り広告でSLやまぐち号の広告写真を見つけ、急遽、同列車が走る西日本旅客鉄道山口線の徳佐駅近くでSLの走行を撮影し、後に日本アルプスの雪山を合成した。菜の花畑を見て芳山和子が「季節という時間がゆっくり動いてゆくのは分かるみたい」と話し、多感さ故にタイムリープする能力を持つことが宿命づけられた少女を予感させる。この菜の花畑のショットは、彼女たちの教室の壁にカレンダーとして掛けられている。 瀬戸内海沿岸の尾道市と竹原市が舞台だが、クライマックスでの合成の海(波)を除き、海が背景に写りこんでいない。これは意図的な演出。大林は「『転校生』が日向の尾道であったとすれば、『時をかける少女』は日陰の尾道です。常に画面に陰と日向があって、その境目に揺らめく陽炎のような、つまりトワイライトゾーンに原田知世を置いて、彼女の心のゆらめきを感じさせようと計算しています。テンポは抑えて我慢に我慢で、カメラを寄りたくても寄らずです。最初の方の知世と高柳君が下校の途中、二人で歩く3カットなどは、今(1983年当時)の映画のテンポにないと思います。あの歩き方をスリリングに感じてくれる人は最後まで乗れるだろうし、そこで置いてけぼりを喰っちゃうと、最後まで、これはどういう映画じゃということになる。このシーンの引きの絵でじっくり見せるというテンポは、それだけこだわってみたんです。キス人形から日本人形に移って地震を見せるシーンは苦労しました。今、『ポルターガイスト』なんてのもあるから、どんな派手な地震を見せても誰も驚かない。じゃ、一番密やかなところで地震を見せられないか、というところからキス人形のアイデアが浮かんだんです。しかもキス人形を媒介として、高柳君と尾美君の間で揺れ動く彼女の心情も描くことが出来る。尾美君が屋上で知世の匂いのするハンカチを顔にかけて泣くシーンは海野十三的感性です。別に醤油屋の息子が大学受験を諦めてという生活のリアリティを描いたわけじゃなくて、あれは絵空事の話で、絵空事の花も実もあるリアリティでやっただけです」などと述べている。 また「二本続けて舞台を尾道に持って行ったのはやっぱり匂いです。匂いというのは映画に移らない一番不便なものですから、映像の喚起力はまず匂いから始まる。この映像にかかわっている時は、こういう匂いがしたとか。匂いは感性がデリケートになっている時じゃないと感じませんから、悪臭は別にしてね。その匂いの感情が描けるのは、唯一音楽ですね。今度のは音楽、つまり劇伴をやろうと思ったわけです。冒頭のモノクロ・シーンの劇伴は『駅馬車』を手本にしたものです」 「最初はモノトーンでいきたいと思っていました。阪本キャメラマンが相当がんばって、高感度フィルムを使って、減感で現像するとか、かなりフィルムをいじり回しています。それでああいう、色が褪せていく、その分だけ記憶が甦るという世界が作り出せたと思います」などと述べている。 タイムスリップのシーンはどう撮るか頭を悩ませた部分。当時は『トロン』のコンピュータグラフィックスが話題を呼んでいたが、大林はそれでは魂のリリシズムにならない、ファッションとしてのSFになってしまうとできるだけSF的な絵は避けたいと考えた。それでデジタルのコンピュータグラフィックス的な絵で飾るのではなく、古いアルバムをパラパラとめくっていくような感じ、残像の中で垣間見えた景色によって時をかけていく、いつか見た懐かしい風景でないと、このドラマは成立しないとこの方法を思いつくまで苦労して、タイムスリップのシーンは250枚撮りモータードライブのスチールのカメラでコマ撮りで撮った。ロケハン段階から1メートルごとにシャッターを押す方法。「おそらく世界で初めてスチールカメラでタイムスリップを撮ったSF映画」と大林は話している。それまで抑えていた映像テクニックが、ここで奔流のように一気に噴出し、コマ撮り、アニメーション、合成、多重露光、ソラリゼーションなど、二重三重に絡み合い、魔的映像を現出させた。しかしこれらの特殊効果テクニックは、本作の20年以上前の自主映画時代から大林の根幹を成す手法であった。 11年後の未来部分は原作にはないオリジナルで、公開当時から賛否両論あった。原作では和子と深町の別れで話は終わるが、大林の描こうとした愛の運命の物語にとっては、再び巡り来る(べき)愛の邂逅はどうしても欠くことの出来ないシーンであった。哀切溢れる二人の別れにシーンでは、巧妙なカット割りで和子と深町の視線を一度も交えさせず、11年後の再会で初めて同一フレームの中で和子と深町の視線が交わる。この視線のやりとりは、コンプトン・ベネット監督の『フォーサイト家の女』(1949年)のラストシーンの引用。エロール・フリンのグリア・ガースンのやりとりが大林は大好きで、少年時代に学校の廊下で真似をしていた。 去って行く深町の遠近感がグーッと引き伸ばされるように歪む、被写体のフレームサイズは変わらないのに背景だけが動いていくという撮影技法(ドリーバック・ズームアップ)は、アルフレッド・ヒッチコックが『めまい』で発明して、その後、多くの映画やCM、テレビドラマで使われるようになったもので、英語では『めまい』のタイトルそのまま「vertigo Shots(めまいショット)」、あるいは「Dolly zoom」「The 'Trombone' Shot」などと呼ぶようであるが、日本では大林がこれを初めて使用し「逆ズーム」と命名したという。大林は「『めまい』の頃は、子供だった故で、あれーと思ったが、それっきり。この手法に意識的に出会ったのはロジェ・ヴァディムの『獲物の分け前』のラストで、ジェーン・フォンダがひとり生きる部屋のシーンで床がスルスルと奇妙に伸び続けた。これをキャメラマンの長野重一と発見し、1970年のマンダムのCMで阪本善尚と使用したのが、日本で初めての例。私が"逆ズーム"と命名して、その後数々のCMで使用した。『時をかける少女』では阪本キャメラマン設計の逆ズーム装置を使用して、幻想的な画面効果を得ることができた」と話している。
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