映像テクニック
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中平は「テクニックの人」と呼ばれた。具体的には映像の早回しや、画面の縮小ほか多数のテクニックだが、『月曜日のユカ』ではテクニックが、映画の一部分を台無しにしている傾向もあった。映画評論家からは、彼のテクニックに偏重しすぎた面を、たびたび批判された。 中平の死後20年近く経った平成10年(1998年)には、中平康を再評価する動きが見え始め、平成11年(1999年)には中平まみ著『ブラックシープ 映画監督「中平康」伝』(ワイズ出版)刊行記念「中平康レトロスペクティヴ」と題して映画8作品が渋谷ユーロスペース他、全国で上映された。平成15年(2003年)には第16回・東京国際映画祭協賛企画「映画をデザインした先駆的監督・中平康レトロスペクティヴ」として『闇の中の魑魅魍魎』と『変奏曲』を除く国内の映画全作品に加えて、日本初公開となる『狂恋詩』、『猟人』の2本の「香港作品」まで上映させる大規模な回顧上映が渋谷ユーロスペース他、各地で開催された。ユーロスペースでは、『誘惑』が上映された。 この回顧上映時には『猟人日記』に準主演するなどして中平作品とも関わりのあった戸川昌子が主催する文化サロン「青い部屋」にてミルクマン斉藤と戸川昌子による中平康トークイベントも開催された。またユーロスペースでは『月曜日のユカ』上映に併せて加賀まりこがトークショーのゲストとして来館した『月曜日のユカ』もまた代表作となっている。 中平康の自伝のようにも見える(ミルクマン斉藤による)といわれる後期作品『闇の中の魑魅魍魎』と、日本映画の枠からの脱却を計った『変奏曲』は過去にビデオ化されたことがある(荻昌弘は『変奏曲』をその年のキネマ旬報ベストテンのベスト3にあげている)。 思想よりも洗練とテクニックを重んじる中平の作品は、21世紀の「保守化、商業主義した観客」にこそ受け入れられるのではないかという見方もある。その一方で、日活時代の後期は急速な衰えを見せて企画も会社お仕着せばかりになり、飛躍の機会を失ったと言われる。後年、日活時代の陳腐な作品も多く再上映され、映画ファンには不評だった。モダン派と並び称された増村、鈴木清順らが鬼才として評価される中、取り残されたような形で世を去った。田山力也の評伝ではこの時期「泥酔しながら仕事に臨むことが多く」スタッフや俳優の信頼を失墜したと書かれている。再起を賭けた『闇の中の魑魅魍魎』でも、肉体的衰えから演出を流すようになってしまっていることが後見役の新藤兼人を苛立たせたと同書にあり、主演・麿赤児の自伝でも現場に顔を出した新藤が何度も取り直しを命じる場面が書かれている。 平成17年(2005年)には韓国の釜山国際映画祭にて成瀬巳喜男監督『浮雲』、今村昌平監督『神々の深き欲望』、鈴木清順監督『ツィゴイネルワイゼン』等と共に『狂った果実』も紹介、上映された。また韓国でも「中平康レトロスペクティヴ」が開催され、芦川いづみの可憐さが印象的な『あいつと私』等が上映された。2009年4月から5月、東京・ラピュタ阿佐ヶ谷にて、「孤高のニッポン・モダニスト 映画監督・中平康」と題して日活時代の作品から選ばれた34作品が上映された。
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