大正文壇内の勢力・対立関係とは? わかりやすく解説

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大正文壇内の勢力・対立関係

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:42 UTC 版)

文藝時代」の記事における「大正文壇内の勢力・対立関係」の解説

日本社会主義同盟」などの運動興りそれまで思想とほとんど無縁だった大正文壇にも社会中心的話題関心寄せざるを得ない状況生まれる中、身辺告白小説旧来的な私小説の影が次第薄くなり、島崎藤村暗示的述べていた「行く路は難い」「時代難さ」という「文学行路難さ」に新たな要素加味されつつあった。 この頃は、プロレタリア系の青野季吉平林初之輔前田河広一郎などの論客頭角現わし他方では耽美派谷崎潤一郎新思潮系の芥川龍之介詩人佐藤春夫といった花形作家才華競い合っていた。大手文芸雑誌の『新潮』『改造』『中央公論』も、そうした人気中堅作家や、志賀直哉白樺派など大家作品占められ、なかなか無名作家の出る幕がなかった。 そうした文壇対し「上がつかえている」という閉塞感持っていた「文士タマゴ」の青年たちは、後輩面倒見の良い菊池寛慕って集まっていた。この頃菊池は、文壇人の一部からは純文学ではないと批判されつつも新聞連載小説真珠夫人」が大当たりし時代半歩先をいくような大正時代新たな通俗小説開拓励んでいた。ジャーナリズム寵児存在にもなった菊池は、孤立しがちな文学者社会的地位向上を目指し相互扶助的な「劇作家協会」や「小説家協会」(日本文藝家協会母体)も結成していた。 社会話題にも関心寄せていた菊池は、資本主義の不正・不当に対抗する社会主義理論自体否定せず世の中がいずれ社会主義化するのは「時の問題」と考え、あとは「時と手段問題」が残っているだけと語ったが、こと階級意識掲げプロレタリア文学に関しては、「芸術.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}本体(プロパア)に階級なし」と異論呈した菊池は、どんなに政治社会上の時代変化があろうとも音楽絵画芸術本体普遍であるのと同様、「文藝芸術的部分階級と関係なしに、一定不変である」と主張し芸術が本来の道を外れ政治的功利利用される時は「堕落する」と断じつつ階級芸術理論を「迷妄」と批判した上で目下プロレタリア文学真の労働者要求する文藝ではないとした。そのため菊池プロレタリア系から反発をくらい、「ブルジョア作家」と非難浴びていた。 こうした文壇内のプロレタリア系の新動向や、文壇人の通俗小説対す偏見新人らの不満などを背景に、菊池文壇打って出る決意固め、狭い文壇世界越えて誰もが遠慮なく自由に物が言える雑文雑誌無名作家デビュー足がかりなり得る雑誌目指して、1923年大正12年1月朋友芥川龍之介久米正雄とともに文藝春秋』を私費創刊した(当時発売元春陽堂)。 当時中央公論』が1円、『新潮』が80銭の中、『文藝春秋』創刊号は10銭という破格安さで、わずか28頁の薄い雑誌であったが、たちまち3,000部が完売し直接購読定期購読)の申し込み150件以上来た。『文藝春秋』は巻頭を飾る芥川アフォリズム的な連載随筆コラム侏儒の言葉」が特色でもあった。 好調な売れ行き勢いづいた菊池は、4,000部に増刷した2号にて「私が知つてゐる若い人達」と紹介しながら、新進作家川端康成第6次新思潮同人、ほぼ無名横光利一らを『文藝春秋』の同人加えた。この2号にはプロレタリア作家評論掲載され、その呉越同舟編集方針人気呼んだ1万部まで大増刷された5号は「特別創作号」と銘打ち横光の名が一躍有名となる「」が掲載された。 将来性予感させる横光川端従えた菊池の『文藝春秋』は順調に売上げ伸ばし大正文壇新たな転回への刺激剤になっていった。横光プロレタリア文学については菊池同様の立場をとり、「階級文学の提称は、最早文学世界にあつては時代錯誤である」とプロレタリア論客対抗した川端も、「プロレタリア作品即ち下らない作品」という概念世間与えたプロレタリア作家の罪は「九死に価ひする」と手厳しい意見をするなどしていたが、前田河広一郎金子洋文今野賢三新し感覚持っている高評価し、作品本位柔軟な姿勢だった。 当時新進気鋭文芸時評家として歯に衣着せぬ発言をしていた川端目下の敵は、プロレタリア系の動きの方ではなく、「旧態依然たる」既成作家既成文壇だった。既成批評家実際作品をよく読みもせず、あるいは読めず(文章善し悪し分らず)、固定観念縛られ若い世代作品評価することができないこと川端の不満であり、彼らによって若い才能が摘まれてしまうことが我慢ならなかった。 川端は『新潮合評会の権威的あり方恩恵同時に場合によっては青年作家将来潰しかねない害毒」の危険性)を率直に述べ程度の低い「文壇常識」から出なくなった合評諸氏言葉は、諸氏進展しなくなった証拠であるとして、「やがて現れるであらう新鮮なものに席を譲るべき時が来た」と挑戦的な姿勢示した。 『新潮合評会には、当時中村武羅夫宇野浩二近松秋江などがいて、中村川端発言対し烈火のように怒っていた。中村は『新潮』の編集者として文壇睨みきかしていた存在でもあった。横光の「」ついても中村は「行き方が、まともでないやうな気がする」と低評価をしていた。川端宇野作品心づくし」を貶した後、宇野川端作品篝火」を貶すという対立関係もあった。

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