『文藝春秋』創刊とは? わかりやすく解説

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『文藝春秋』創刊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:54 UTC 版)

菊池寛」の記事における「『文藝春秋』創刊」の解説

1923年大正12年1月人気作家となった寛は若い作家のために雑誌文藝春秋』を創刊する発行編集印刷人は菊池寛発売元春陽堂定価10銭で、『中央公論』が特価1円、『新潮』が80銭の時代破格安さだった。巻頭飾ったのは芥川龍之介のエッセイコラム「侏儒の言葉」。創刊号3000部はまたたくま売り切れ次号売り上げ伸ばし、「特別創作号」を銘打った5号1万1千部の売り上げとなった1926年大正15年昭和元年)から春陽堂離れて文藝春秋社」として独立し文藝春秋』は総合雑誌となる。初期編集部石井桃子桔梗利一らがいる。また大衆作家として、婦人雑誌新聞多く小説発表していたが、1927年昭和2年7月25日芥川龍之介自殺。寛は号泣し葬儀では弔辞読む半ばから涙が止まらなかった。1935年昭和10年)、新人作家顕彰する「芥川龍之介賞」「直木三十五賞」を設立する1926年大正15年日本文藝家協会設立1925年大正14年)、文化学院文学部就任1928年昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に、東京1区から社会民衆党公認立候補したが、落選した。しかし1937年昭和12年)には、東京市会議員当選した言論の自由何よりも重んじた菊池は、「左傾にしろ、右傾にしろ、独裁主義国家は、我々人類のために、決し住みよい国ではない」と主張し政治家として、「反資本反共産、反ファッショ三反主義」を掲げ穏健派社会主義社会民衆党活動した日本数年来反動的な右傾時代になつたに就いては、政党政治堕落も、その一つ原因であるが、もう一つ共産主義者妄動である。彼等は、日本対す正当な認識欠き自己の力量をも知らず実現不可能な理想ふりかざして社会不安醸成したゝめに、却つて反動的勢力擡頭に、口実を与へてしまつたのである彼等妄動のために、合理的な労働運動や、正当なプロレタリヤ解放運動までが、オヂヤンになつてしまつた。十年前までは、あんなに盛んであつた改造とか解放とか云ふ言葉が、今ではどこにも聞こえなくなつた。日本社会改革運動は、合法的な社会民衆党的な主張に依つて、穏健に確実に行はるべきであつたのである。 — 菊池寛「話の屑籠」(昭和10年5月

※この「『文藝春秋』創刊」の解説は、「菊池寛」の解説の一部です。
「『文藝春秋』創刊」を含む「菊池寛」の記事については、「菊池寛」の概要を参照ください。

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