大リーグボール2号
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「大リーグボール」の記事における「大リーグボール2号」の解説
バッターボックス手前で投げたボールが姿を消すという「消える魔球」。一徹の魔送球を応用したものである。魔送球は飛雄馬の入団テストを最後に封印するはずだったが改良して復活させた。魔送球の最も進化した形とされ、ボールは消える瞬間に地面スレスレまで移動し再び見える頃に浮き上がってキャッチャーミットに届くという軌道を描くため、ストレートの軌道を描いているバットには当たらないという梶原独自の理論で説明されている。反則投球ではないのかという指摘は、作中では慎重に退けられている。 「消える魔球」の原理は、右足で蹴られたマウンドの土が頭上まで跳ね上がり、ボールを離した直後にその土が縫い目に巻き込まれ、球が本塁近くで地面すれすれに下降および上昇して下の土を巻き上げ、同時に縫い目の土が球を包み、マウンドの土と本塁附近の土の保護色で消えるというもの。一徹は「星投手の右足が高く上がると青い虫が飛び、青い葉に止まる」と表現した。弱点は土煙を利用するために風や水に弱く、強風や雨天での試合では使えないことである。 さまざまな攻略法が試みられた魔球であり、「あらかじめホームベース上に何度も倒れこみグラウンドをならしておく」「三塁ランナーが強引な本盗をしかけ、両手で土煙をふせぐ」「ユニフォームの中に水をふくませておいてスイングとともにバッターボックス周辺に撒き散らす」「ホームベースの先にヘルメットを落とす」などといった方法がとられた。 ヒント 『いきなり最終回』(宝島社)で川崎のぼるが語ったことによると、梶原一騎が川崎の描く「飛雄馬の投球フォーム」を見て思いついたらしい。 劇中では飛雄馬の住むマンションの屋上で、片足を跳ね上げながら鞠をつく少女・美奈の姿を目撃した飛雄馬が、自分で鞠つきをしながら思いついた。このいきさつは明子の口から一徹とオズマに知られたが、花形も「少女は片足を跳ね上げながら鞠をついていた」ということまで知っていた。 開発特訓 飛雄馬は一貫して投球練習をしていた。原作では一ヶ月で完成したが、半分の2週間ほどでボールは消えていた。2号の練習の際、捕手兼打者を努めた伴は両目を痛め包帯で目隠しとなり、これを秘密にするよう医者に頼んだが、彼の目の負傷はオズマや花形に知られ、左門の弟・妹たちにも目撃されている。両眼に包帯をした伴宙太が練習や生活をしていれば周りに目の負傷がばれるのは当然として、オズマと花形は医者が不思議がったことまで知っていた。これにより一徹と花形は消える魔球と初対面の段階で秘密の80%まで見抜くことになる。 花形の魔球打倒策と特訓 花形は「消える魔球の正体は魔送球だ」と気づいた直後、左門からの電話でそれが100%の正体ではないことを知ると、自信をなくし、打倒策を封印して交代。魔球打倒は年が変わった次のシーズンに延びた。 左門が採用した打倒策はスイングの「風」だった。左門は九十九里浜でたくさんの蝋燭の火や波を相手に素振りを強化し、土煙をなぎはらう特訓をした。次の問題は本塁近くの土煙を押さえたあと、マウンドの土をかぶってふくれたように見える球をどう打つかであった。 花形は冬の六甲山で雪球に仕込んだボールを打つ練習をし、伴はサッカーボールを打つ特訓をした。 なお、野村克也は花形の帽子落とし作戦を真似て打ち、ジョージ・アルトマンは水を撒いて打った。 元チームメイト・伴との対決 伴には見えないスイングは無理な代わりに体重があり、また柔道の経験があるため受身はお手の物である。星との対決で伴はこれを利用した地固めを行い、大リーグボール2号への対策とした。 この対決は星と伴のライバルとしての初対決として注目されてしまったが、試合の流れからいえば、併殺で討ち取ってチェンジにするのが星登板の目的であった。巨人ベンチは大リーグボール1号での併殺を考え、それは中日側に見抜かれて封じられたものの、星は川上監督提案の「外角に外した2号」で代打・伴を投飛併殺に討ち取り、救援の役目を果たした。 最終的な打倒策 花形は走者協力、ヘルメット落としといった本塁近くの土煙(80%の秘密による)を封じる策を経て、最終的にそれまで見せなかった一本足打法のかまえで星を動揺させて投球モーションを中途半端なものにし、ボールを包むマウンドの土(20%の秘密による)のほうを封じて打った。花形は消える魔球との初対面では80%だけの上下変化の魔送球だけを見て、ボールが見えることに驚いたが、最後には同じ「上下変化の魔送球」を打ったことになる。花形は左門が言った「100-80=20」でなく、「100-20=80」のほうを採用したことになる。 つまり、「消える魔球を打つ」というのは「消えずに見えるようになった魔送球を打つ」ことであった。 短命だった「消える魔球」 星飛雄馬の1箇月の充電期間の半ばでボールは消えていたが、残り2週間ほど、飛雄馬は調整を続けていた。 この魔球は「巨人の星」の魔球の代表のように扱われているが、公式戦で初披露されたのが1969年のシーズンも終盤にさしかかった秋の対中日戦、オズマとの対戦で、左門が消える魔球と初対戦したのは、そのシーズンの大洋×巨人の最終戦。花形も阪神×巨人戦の1969年最終戦で初対決となった。 結局、消える魔球は1969年後期の登場直後に巨人のV5に貢献しただけで、その後のライバルとの駆け引きはオズマ帰国、伴トレードを挟んだオフシーズン中にすんでしまった。 左門の再挑戦は1970年キャンプ前の非公式の対戦(「きのうの英雄きょうの敗者」)。1970年のシーズン開幕当時はすでに消える魔球は打たれる寸前の過去のもの、のちの飛雄馬の言にしたがえば「タネが割れた手品」となっていた。中日の伴、阪神の花形が消える魔球を打ったのも、それぞれ開幕して最初の対巨人戦であった。
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大リーグボール2号
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大リーグボール2号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 03:26 UTC 版)
その後一時的に自暴自棄な日々を送るが、自宅マンションの屋上でまりを突く少女の姿にヒントを得て大リーグボール2号を編み出し、第2次絶頂期を迎える。その翌年(1970年)、長年公私に渡って“女房役”を務め上げていた盟友・伴がトレードで中日に移籍する。伴は一徹による大特訓の後、飛雄馬への刺客と変貌を遂げ、飛雄馬と開幕戦で対決する。2号はすんでのところで打たれるところだったが、一徹コーチのサインミスでピッチャーフライに終わった。しかし、結局2号は阪神戦で花形に打たれる。ただし正確には「完全大リーグボール2号」が打たれたわけではない。その打席で、花形の施策で一本足打法の格好をした花形に対して、星が勝手に「何かの奇策では?」と思い込んで、足が上がらず、消えない大リーグボール2号を投げた為、容易に打たれた。その後、「ヘルメットを落とす」「バットスイング」「水をまく」と言った方法で消えない工夫を打者が凝らし打ち込まれている。が、完全に消えている大リーグボール2号を打った打者はその後もいない。
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