古文銭一覧とは? わかりやすく解説

古文銭一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 03:29 UTC 版)

古文銭」の記事における「古文銭一覧」の解説

この表には、国家正式に鋳造発行したものの他、民間私的に製造したものなども便宜的にここに列するものとする。 「銭文」の「←」は「名称」の現在通用する名称と同じことを示す(その際新字体旧字体などの違い無視した)。 発行王朝名称銭文発行年解説秦 秦半両 半兩 紀元前221年 重量表記通り半両12銖)あった。 前漢 半両 半兩 秦末 - 前漢初期(八銖半両発行以前) 民間鋳造重量1銖程度。 八銖半両 半兩 紀元前186年 重量8銖。この銭の発行とともに民間での貨幣鋳造禁止された。6銖程度のものは八銖半両小型考えられている。 五分半両 半兩 紀元前182年 重量2銖4絫で、本来の半両12銖)の5分の1に当たる。実際には更に小型化されたものもある。 四銖半両 半兩 紀元前175年 重量4銖。この銭の発行時、品質一定にすることを条件に再び民間での貨幣鋳造認められた。 三銖 ← 紀元前140年 実際重さ貨幣表記一致する貨幣発行開始から4年後に廃止。 郡国五銖 五銖 紀元前118年 五銖銭最初タイプのもの。実際重さ貨幣表記一致する貨幣として発行開始中央政府とともに各郡国でも鋳造されたので品質一定しなかった。紀元前113年廃止。 赤側五銖 五銖 紀元前114年 郡国五銖5分の価値持たせたもので、租税納入使用させたが、発行翌年紀元前113年に郡国五銖とともに廃止。 三官五銖 五銖 紀元前113年 郡国五銖・赤側五銖を廃止した代わりに発行したもの。この銭の発行時、朝廷以外での貨幣鋳造禁止された。 小五銖 五銖 紀元前113年 前漢時代の他の五銖銭比べて極端に小さく直径は約12mm。一般通貨として流通したものではなく埋葬用の貨幣冥銭)として三官五銖銭同時期に鋳造されたものと考え見方一般的新 大五十7年 当初五銖銭50分の価値小泉直一発行後は小泉直一50分の価値とされた。王莽銭の中ではある程度量産され流通した小泉直一9年 五銖銭廃止しその代わり五銖銭1枚当の価値として発行したもので、当時基準単位となり、王莽銭の中ではある程度量産され流通した。 幺泉一十 ← 10年 宝貨制における銭で、上から順にそれぞれ小泉直一10分、20分、30分、40枚分の価値とされ、小泉直一大泉五十と共に六泉と呼ばれたが、これらの銭は実際にはほとんど流通せず終わり現存数も少ない。 幼泉二十中泉三十 ← 壮泉四十貨泉14年 大泉五十等価として発行したもので、この銭の発行時に宝貨制における諸貨幣廃止された。日本でも弥生式土器とともに出土する20年頃には同じ貨泉も本来の貨泉よりかなり重いいわゆる「餅貨泉」が出現し、この餅貨泉秤量貨幣として使用されたと考えられている。 布泉 ← 14年文献記載がなく、通貨としてではなく通行証入門証など、特殊な用途目的鋳造されたという説がある。 後漢 後漢五銖 五銖 40年 前漢時代五銖銭比べて厚みがやや薄く重量はかなり軽い。 董卓五銖董卓無文小銭 (五銖) 190年 董卓相国となっていた時期発行された非常に小さく薄い粗悪な銭で、「五銖」の文字も完全にまたはほとんどなくなっている。 剪輪五銖 (五銖) 後漢末後漢末期の董卓五銖(董卓無文小銭)が流通していた頃、民間では五銖や貨泉などの銅銭打ち抜いて外と内の2つ分割して2枚として使用することが行われ、内側は「剪輪(せんりん)銭」、外側は「綖環(すいがんえんかん)銭」と呼び董卓五銖(董卓無文小銭と共に当時の「悪銭」として使われた。 綖環五銖 (五銖) 剪輪貨泉 (貨泉) 綖環貨泉 (貨泉) 魏 魏五銖曹魏五銖 五銖 220年後漢五銖より小型化されており、考古学による三国時代墓地発掘発見された。 蜀漢 蜀漢五銖 五銖 221年 これも後漢五銖より小型化されている。 直百五銖 ← 214年 蜀漢五銖や董卓五銖・剪輪銭・綖環銭などの「悪銭100枚分の価値として発行されたもので、蜀漢のみならず魏や呉でも通用した。 直百 ← 蜀漢末期 直百五銖の省文銭で、直百五銖よりかなり小型化され、しかも年代とともにその直百も小型化されていった直一蜀漢末期 蜀漢五銖に代わって鋳造されたかなり小型の銭で、現存数は少ない。 (蜀地方) 太平百銭後漢末一説では五斗米道張魯発行した貨幣とされており、蜀漢の直百五銖はこれの影響受けたとも言われる。 世平百銭後漢末太平百銭同系列の貨幣考えられている。 太平百金 ← 三国期 これも太平百銭同系列と考えられている。太平百銭よりかなり小型化された銭。 定平一百三国期 これも太平百銭同系列の小型銭。 呉 大泉五十236年頃 上から順にそれぞれ五銖銭悪銭50分・500分・1000分・2000分・5000分の価値とされた名目貨幣だが、文献記載があるのは大泉五百大泉当千2種類のみである。呉の大泉五十は新の王莽大泉五十とは異なる。額面見合うだけの重量のある貨幣ではなかったため、流通するうちに貨幣価値低落物価高騰招き246年にこれらの名目貨幣廃止された。 大泉五百236年 大泉当千238年 大泉二千238年大泉五千238年西晋 晋五銖 五銖 265年頃 これも小型五銖銭従来蜀五銖と呼ばれていたものは、発掘調査から晋時代ものという説がある。 東晋 沈郎五銖 五 318年 小型粗悪な五銖銭一種。銭文の「五銖」の金へんがなく「五となっている。 前涼 涼造新泉317年重量2g五胡十六国時代混乱の中で銭が鋳造され数少ない例の一つ成漢 漢興338年重量1gの薄小な銭。縦書きと横書きの2タイプがある。銭銘の漢興当時元号で、中国元号入れた史上初の貨幣後趙 豊貨 ← 319年重量3g。同じ五胡十六国の涼造新泉漢興にも言えることだが、五胡十六国混乱の中での極度銭貨不足を解消するには至らなかった。 夏 太夏真興419年真興当時元号現存数は数程度しか確認されていない南朝宋 四銖 ← 430年 実際重さ貨幣表記一致する貨幣五銖銭伝統からは外れる形だが、それまでの軽小銭よりは大型となっている。 孝建四銖 表:四銖裏:孝建 454年 四銖銭の裏面に元号である孝建文字入れたもの。 孝建454年 孝建元号のみを記した小型銭。 両銖 ← これも実際重さ貨幣表記一致する貨幣永光465年 銭銘の永光景和両者とも当時元号で、銭貨両者とも18mm・1.2g程度小型銭で現存数は非常に少ない景和465年 南朝斉 斉五銖 五銖 479年15mm程度のかなり小型五銖銭南朝梁 内郭五銖 五銖 502年 表面内郭(穴の周り盛り上がった部分)のあるこの時期としては良質五銖銭五銖 五銖 523年 不足により鋳造した五銖銭だが、極端なインフレ引き起こし経済大混乱した。 太清豊楽547年 太清当時元号で、この銭では太清文字横倒しになっている。 両五銖 五銖 552年 表面の上下に点がある特徴を持つ五銖銭。 陳 太貨六銖 ← 579年 重量は銭銘の通り6銖あり、建前上は五銖銭10分の価値とされた名目貨幣であったが、実際取引では五銖銭等価となり、短期間廃止されている。 北魏 北魏五銖 五銖 493年 洛陽遷都以降流通開始太和五銖 ← 495年 銭銘の太和永安両者とも当時元号だが、旧銭との交換比率高く設定したため流通限定的であり、旧銭や私鋳銭広く用いられていた。 永安五銖 ← 529年 西魏 大統五銖 五銖 540年 置様五銖と連続して作られたという説がある。 北斉 常平五銖 ← 553年 精巧な鋳造により広く流通したが、次第私鋳銭増加していった。 北周 北周泉 布561年 五銖銭5分の価値として発行。新の布泉とは穴が小さいなどの点が異なる。 五行大布 ← 574年 北周布泉10分、五銖銭50分の価値として発行。 永通万国579年 五行大布10分、五銖銭500分の価値として発行。 (六朝) 六朝五銖 五銖・五五金など 六朝期発行されとされる発行王朝確定できない五銖銭群。後漢五銖や隋五銖に比べて製作が粗悪重量バラバラで本来の五銖より軽く直径小さめ文字様々なバリエーションがある。私鋳銭とも言われる。 隋 置様五銖 五銖 581年 通常の五銖銭比べ重量は約2倍である。 市場流通価値も2倍であったかどうか不明。名称は「様を置いて准を為す」との記述由来。 隋五銖 五銖 585年 外郭が太いのが特徴。隋五銖と同等のもの以外は没収し、隋五銖の原料とされたことで徐々に貨幣統一進んだ。 白銭五銖 五銖 585年 最後タイプ五銖銭。 以下は古文銭時代発行され円形方孔以外の銅貨の一覧である。 発行王朝名称銭文発行年解説新 栔刀五百栔刀 栔刀五百 7年 両者とも円形方孔銭と刀の形を組み合わせたような形状で、春秋戦国時代刀銭模倣。栔刀五百五銖銭500分の価値一刀五千五銖銭5000分の価値とされた。一刀五千一刀文字は金の象嵌となっている。 一刀五千錯刀 一刀五千 国宝金匱直円形方孔銭と正方形組み合わせたような形状で、五銖銭1万分の価値とされた。諸侯による金の保有禁じられた際に、没収された金の代わりに与えられものという説がある。現存数は数程度しかない考えられている。 小布一百10年 宝貨制における貨幣で、春秋戦国時代布銭模倣した形状で、上から順に小泉直一100200300400500600700800900分の価値とされ、大布黄千と共に十布と呼ばれたが、大布黄千以外のこれら9種類実際にはほとんど流通せず終わり現存数も少ない。ちなみに宝貨制では青銅貨以外に金貨銀貨・亀貨・貝貨制定されたが、これらの実物現存しない。 幺布二百 ← 幼布三百 ← 序布四百 ← 差布五百 ← 中布六百 ← 壮布七百 ← 第布八百 ← 次布九百 ← 大布黄千 ← これも宝貨制における貨幣で、春秋戦国時代布銭模倣した形状で、小泉直一1000分の価値とされ、こちらは王莽銭の中ではある程度量産され流通した貨幣としてだけでなく、通行証パスポートのように携帯義務づけられた。 貨布 ← 14年 貨泉と共に制定され貨幣で、春秋戦国時代布銭模倣した形状で、貨泉25分の価値とされ、この貨幣の発行時に宝貨制における諸貨幣廃止された。貨泉異なり実際流通の場では忌避された。

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