初期 : 結成〜ワールド・ツアーとは? わかりやすく解説

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初期 : 結成〜ワールド・ツアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:59 UTC 版)

イエロー・マジック・オーケストラ」の記事における「初期 : 結成〜ワールド・ツアー」の解説

YMO結成以前細野は、ドラマー林立夫シンガーマナと共に自身の「イエロー・マジック・カーニヴァル」をカヴァーするというユニット構想していた。だがこれは実現せずその後マナは、ソロで「イエロー・マジック・カーニヴァル」をカヴァーしている)、続いて細野佐藤博ユニットマーティン・デニーの「ファイアークラッカー」をカヴァーすることを構想するが、これも佐藤渡米したことにより実現しなかった。細野当時マネージャー日笠)にも人選依頼し日笠坂本龍一推薦した1978年2月19日行われた細野ソロアルバムはらいそ』に収録される「ファム・ファタール」のレコーディングの際に、坂本龍一高橋幸宏2人と、初めて3人で顔を合わせることとなったそれまでにも坂本細野1975年大滝詠一アルバムNIAGARA MOON」の録音時に顔合わせをしており、1976年には細野ティン・パン・アレーツアーサポートメンバーとして坂本起用するという関係だった。1976年5月細野アルバム泰安洋行発売時のライブでは坂本とともに「ファイアークラッカー」を演奏している。一方高橋細野学生時代から旧知の仲であったが、ミュージシャンとしての交流サディスティック・ミカ・バンド1975年の「ジャパン・ロック・フェスティヴァル」に出演した際、小原礼代役細野演奏したことが一度あっただけだったその日細野2人自宅招き、3人はこたつを囲んだ状態で、おにぎり食べながら(みかんという説もあるが、みかんはあったと三人記憶している)会合行った細野新たなグループのコンセプトを彼らに伝えたところ、2人賛同し、ここで初めて“YMO”が結成される。このとき細野2人に「マーティン・デニーの「ファイアー・クラッカー」をシンセサイザー使用したエレクトリック・チャンキー・ディスコとしてアレンジしシングル世界で400万枚売る」(実際メモには枚数書かれていない)という自身メモ書かれノート見せている。 細野メンバー決まった後も、結成当初横尾忠則YMOメンバー加え構想があった。記者会見当日細野横尾対し会見に来るように伝えていたが、横尾はなぜか「行きたくなかった」とキャンセルした真相は、会見当日締め切りとなっていた仕事専念するため)。黎明期YMOトレードマークである“タキシード”も横尾の分含め4着用意されていたが、結局横尾メンバーに加わることはなかった。 後に、結成前から坂本組んでいたシンセサイザーエキスパート松武秀樹が、サポートメンバープログラマーとして迎え入れられYMO特徴であるシンセサイザー自動演奏一手に引き受けることになる。 1978年7月10日YMOレコーディング開始1978年9月松武秀樹サポート・メンバーとしてライヴ日本楽器 池袋店ショップ (YAMAHA) で行う。 1978年10月18日郵便貯金ホールにおいてライヴ開催。さらに10月25日から26日にかけ六本木ピットインにおいて「千のナイフ発売記念ライヴ」を開催YMO結成後もしばらくは、メンバー並行する形で別の音楽活動行っていた。坂本渡辺香津美とのツインバンド「KYLYN」、坂本ベーシスト2人ドラマー2人など各パート2人体制により格闘技形式演奏を行うコンセプト「カクトウギ・セッション」がそれである(これらには高橋矢野顕子参加)。また高橋1979年6月までサディスティックス在籍していた。初期には東京六本木ジャズ・フュージョンライブハウス六本木ピット・イン」などでYMO名義以外でも矢野顕子ライヴゲスト出演行ったり、KYLYN、カクトウギ・セッションなどに3人が参加しYMOの曲も演奏していた。坂本の「千のナイフ発売記念ライヴ」にも3人が参加している。 1978年11月25日デビュー・アルバムイエロー・マジック・オーケストラ』をアルファレコードより発売アルファレコードは、同年秋にアメリカA&Mレコード業務提携しており、12月3 - 10日に紀伊國屋ホール行われたライヴ来日していた副社長トミー・リピューマの目に留まり全米デビュー決定した語られてきたが、後に『ライヴ・アット・紀伊国屋ホール1978』(12月10日収録)のライナーノーツの中で、全米デビューそれより前に決まっていたと明かされている。 1979年5月30日デビュー・アルバムアメリカマーケット向けにリミックスしたアルバムイエロー・マジック・オーケストラ米国盤)』をA&Mレコード傘下トミー自己レーベル、ホライゾン・レコードから発売リミックスは、エンジニアのアル・シュミットと細野共同行った。この米国盤7月25日日本でも発売された(日本ではオリコン・チャート最高20位)。日本盤との大きな違いとして、坂本インスト曲東風」が「Yellow Magic (Tong Poo)」にタイトル変更され、吉田美奈子ヴォーカル加えられている。同時にYMO全世界向けて売り出すプロジェクト「イエローオペレーション」が開始された。1979年8月2 - 4日には、ロサンゼルスのグリーク・シアター(英語版)でチューブス(英語版)の前座公演行い海外での初公演)、前座ありながら観客総立ちアンコール求めるなど、絶賛浴びた8月6日にはマダム・ウォンにて単独ライヴ行いこの頃から徐々にその存在注目され始める。 同年9月25日2枚目のアルバムソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』を発売(この時期アメリカではリリース前にホライゾン・レーベルが倒産したため、オリジナルの形では発売されなかった)。オリコン・チャートの最高1位にランクインし、日本国内でのセールストータル100万越え、その名を幅広い世代浸透させることとなった。同アルバム収録の「テクノポリス」「ライディーン」は、YMOパブリック・イメージとなる。また「デイ・トリッパー」「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」の2曲は海外でも評価高く名声得た。なお、この2曲のみ鮎川誠シーナ&ザ・ロケッツ)がゲスト・ギタリストで参加している。10月には初のワールド・ツアートランス・アトランティック・ツアー (YELLOW MAGIC ORCHESTRA TRANS ATLANTIC TOUR)」をイギリス・ロンドンヴェニュー公演からスタートツアー中はテレビ、ラジオでも数多くライヴ特番組まれ聴衆に対して媚を売ることなく黙々と楽器向かい合う奇抜な演奏真っ赤な人民服風のコスチュームなど、その独特なスタイル注目集めた12月には帰国し中野サンプラザにてライブ行った凱旋公演となったライブではシーナ&ザ・ロケッツオープニング・アクト務めた帰国する頃には日本でもYMOブーム起こっており、海外で火がついたYMO人気日本逆輸入された形となった海外でのライブツアーは、その日本人アーティストのほとんどが国内ヒット出し人気者になってら行うが、YMO国内ヒットする前に行っている。これはスタッフが「YMO音楽国内よりも海外の方が人気になる」と予見してのことだった。この時期大人気に伴いデビュー以降無かった正式なマネジメント会社の設立必要になり、ベルウッド・レコード出身の「大蔵博」(大蔵火呂死)によって音楽プロダクション会社「ヨロシタミュージック」が設立されYMO当該会社所属になった。 こうしてYMO日本国内での人気圧倒的なものとなり、その人気は流行敏感な若者はおろか当時小学生にまで広がっていった。若者テクノカットをまね、竹の子族が「ライディーン」で踊るなど、YMO影響社会現象にまでなった。1980年3月からは初の国内ツアーテクノポリス2000-20が行われる。4月には、小学館雑誌写楽」の創刊イベント写楽祭」にシーナ&ザ・ロケッツスネークマンショーと共に出演同年6月には、スネークマンショーコント織り交ぜて制作され4枚目のアルバム増殖』を発表。これは当初10万限定盤として売り出される予定であったが、20万枚上の予約入ったため、通常盤としてリリースされた。同アルバムオリコン・チャート初登場1位を記録同年10月には第2回ワールド・ツアーFROM TOKIO TO TOKYO」が、イギリス・オックスフォードのニュー・シアターから始まる。同ツアーは、8か国、19公演行われ、アメリカ・ロサンゼルスのザ・チャップリン・ステージ公演では、日本への衛星中継行われたツアー中にアメリカのテレビ番組ソウル・トレイン」に、日本人ミュージシャンとして初めての出演果たしている。ツアー12月日本武道館での4日連続公演締めくくられた。 YMOは「世界通用する(した)ジャパニーズ・バンド」と位置づけられることが多いが、当のメンバー達はむしろ、「世界に出かかってやめちゃったバンド」と考えているようである(1993年「再生」時の坂本発言より)。「欧米広く受け入れられ画期的なジャパニーズ・ユニット」という評価であるかどうかは、評論家および聴衆の間でも反応は様々である。

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