刊行状況
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「フリードリヒ・シェリング」の記事における「刊行状況」の解説
シェリングの著作中、生前に刊行されたのは、1809年の『自由論』が最後。死後に、著述の一部は息子K.A.シェリングにより編集され、コッタ書店より全集として出版された。これは生前刊行された著作と一部の講義録からなっていた。 この息子版「全集」を、20世紀半ば、シュレーターが再編集し、配列を変えた上でファクシミリ版を出版した。さらにこれに基づき一部を収録する形でシェリングの著作集がズーアカンプ文庫から出版された。 20世紀後半になり「全集」に収録されていなかった『世界諸世代』などの草稿が、単行本の形で出版された。 現在、バイエルンアカデミー監修・企画により、著作・書簡・草稿等からなる決定版全集が、長期間かけ刊行中である。本全集の出版計画から、後の刊行予定とされた重要な草稿(『ティマイオス草稿』など)は、単行本の形で出版され、また旧東独側に所蔵されていたベルリン時代の草稿の整理も、統一以降の1990年代より積極的に進んでいる。 日本語訳は1920年代から、個別に著作が翻訳されており、同一期から自由論まで大半の著作が訳され、特に岩波文庫での西谷啓治訳『人間的自由の本質』、勝田守一訳『学問論』は重版している。大規模な全集等の出版はされていなかったが、同一期から後期を通観する『シェリング著作集』全5巻・全7冊(京都・燈影舎)が刊行中である(2006年より、2011年春に4冊目刊)、2018年9月 より文屋秋栄で新版刊行。 他に、『フィヒテ‐シェリング往復書簡』(叢書ウニベルシタス・法政大学出版局、ワルター・シュルツ解説/座小田豊・後藤嘉也訳、1990年)と、『世界の名著 フィヒテ. シェリング』(岩崎武雄編集解説、中央公論社、茅野良男訳「ブルーノ」、渡辺二郎訳「人間的自由の本質」、岩崎武雄訳「哲学的経験論の叙述」を所収)がある。
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刊行状況
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2009年8月現在、日本語版は絶版である。同じ著者の手による『アフターマン』と『新恐竜』が『フューチャー・イズ・ワイルド』と同様の装丁でダイヤモンド社から復刊されているが、本作はされていない。
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刊行状況
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「ファウスト (文芸誌)」の記事における「刊行状況」の解説
創刊以前 直接の母体となったのは講談社文芸図書第三出版部が発行していた小説誌『メフィスト』だが、売上不振により、講談社ノベルスから新刊を出すことができなくなっていた佐藤友哉に小説を発表する場を与える名目で、2002年7月に大塚英志と東浩紀の2人が編集する文芸誌・批評誌として創刊された『新現実』(角川書店)と、2002年11月の第一回文学フリマで販売された同人誌『タンデムローターの方法論』が、本誌の原型となっている。特に後者は、佐藤友哉と西尾維新が小説を書き、舞城王太郎が挿絵を付けた太田克史編集のコピー誌で、これに周辺の若い世代の書き手が加わっていくことにより、初期『ファウスト』のコンセプトが固まっていく。 創刊からコミックファウストまで 2003年9月5日にVol.1が発売され、9月20日には創刊を記念して、紀伊國屋サザンシアター(新宿)で「激変する文芸 ファウストフェスティバル2003」が行われた。Vol.1・2は、講談社の文芸誌『メフィスト』と同じように『小説現代』増刊として刊行されたが、発行部数が少なかったためオークションなどで高騰した。Vol.3以降は「講談社MOOK」として刊行され、Vol.1・2も後にムック化され復刊した。Vol.3以降『特集』という形で1人の作家にスポットを当てたり、文芸やノベルゲーム周辺のブームを取り上げたりしている。入れ替わりに、企画が重複していた『新現実』はVol.3で刊行を終え、文芸色のない『Comic新現実』へ移行する。 Vol.3で、年3回の定期刊行化が決定したと発表された。2004年はVol.2 - 4までの3冊、2005年はVol.5、6A、6Bと3冊が発行された。2006年には本誌2冊、別冊2冊の発行が予告されていたが、実際には6月に別冊である『コミックファウスト』1冊が発行されただけで、その後2008年の夏まで2年間発行が途絶えた。 国内での2年間の休止と海外でのファウスト刊行 日本で『ファウスト』本誌の刊行が途絶えていた間、2006年2月に台湾尖端出版より、同年4月に韓国鶴山文化社より、それぞれ現地語版の『ファウスト』が出版され、日本のものを追いかける形で巻を重ねた。ただし、台湾版は2007年8月のVol.4 SIDE-A発売以来、刊行が途絶えている。韓国版はVol.6 SIDE-B(2009年8月)まで刊行されている。 2006年、太田が海外文芸出版部に異動し、11月には新レーベル『講談社BOX』を立ち上げた。それまで『ファウスト』の掲載作品は講談社ノベルスから単行本化されていたが、以降は講談社BOXからの刊行が主となり、作品によってはハードカバーとなることもあった。2008年10月には太田発案のキャッチコピー「思春期の自意識を生きるシンフォニー・マガジン」を掲げた兄弟誌『パンドラ』が創刊され、2009年8月のVol.4まで刊行された。 ファウスト再始動 2008年8月、約2年半ぶりに本誌 (Vol.7) が発売された。Vol.7では日本を代表するSF作家である筒井康隆がライトノベル「ビアンカ・オーバースタディ」三話を執筆し、話題となった。また、前年に刊行が決定していたアメリカ版「FAUST 1」が同月19日、アメリカの出版グループランダムハウスのレーベルDel Reyより発売された。 『ファウスト』は海外展開を始めた頃から積極的に海外のクリエイターに声を掛けるようになった。Vol.6A,6Bでは台湾の雑誌『月刊挑戦者』で活躍していたVOFANのイラストを巻頭に置き、『コミックファウスト』では日本・台湾・香港・韓国のイラストレーターの作品を巻頭に配した。Vol.7では、中国の80後(バーリンホウ)作家を代表する人物である郭敬明の作品が翻訳掲載されており、郭敬明が編集長を務める文芸誌『最小説』と協力し、互いに作家を紹介し合う計画が編集長の口から述べられている。その後、『最小説』2009年2月下旬号掲載の企画「百人恋愛世紀(下)」(バレンタインデーに関する短いコメントを各界の著名人や一般人が寄せている)に太田克史、渡辺浩弐、翻訳家の泉京鹿が参加した。西尾維新は、2月上旬号掲載の予告では同企画に参加するとされていたが、実際には登場しなかった。 "解散"へ 2008年12月、太田は講談社BOX編集長(部長)から異動し、講談社文芸局付き担当部長となり、2010年には星海社副社長へ就任する。これらの人事の影響で再び刊行が止まっていたが、2011年9月末に講談社からVol.8が発売された。同時に太田は次号Vol.9で“解散”とツイートし、表紙でも宣言したが、以降、刊行への動きはない。 この号は創刊からのレギュラー執筆者で皆勤賞だった西尾維新が寄稿していない唯一の号だが、舞城王太郎や清涼院流水も執筆陣から外れており、代わりに2000年代のムーブメントを懐古・総括する記事が多く入るなど、初期『ファウスト』の雰囲気とは大きく異なっている。
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