刊行経緯
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1985年4月 角川書店より『夏からの長い旅』刊行。 1991年12月 角川文庫より『夏からの長い旅』刊行。 1997年2月 勁文社より『夏からの長い旅』刊行。
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刊行経緯
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1952年に発足した専門図書館協議会は、当初から外国の関係機関との連携を事業方針に掲げていた。連携を重ねていた米国の専門図書館協会(SLA) から1954年にDirectory of special libraries(専門図書館要覧)が寄贈されたが、ここには各地の専門図書館約2500館の様々なデータがまとめられており、そこには日本の国立国会図書館や支部図書館、企業の研究所図書室なども含まれていた。これを見た協議会の会員は日本でもこうした要覧を作成しようとしたが、資金の目途が立たなかった。 当時協議会は国立国会図書館の中に事務局をおいていた。国立国会図書館支部図書館部考査奉仕課長で専門図書館協議会の実務を担当していた酒井悌は、職務の必要があり調査研究機関のリストを作成していた。その頃日本の研究をしていたアジア財団駐日代表のリチャード・J・ミラーは、国際文化会館の福田直美の紹介で酒井を訪ね、リストを見てその有用性を理解し、刊行することをすすめた。こうした経緯で協議会はアジア財団から必要経費972,000円の資金援助を得ることができた。こうして1956年に刊行した『調査機関図書館総覧』は、協議会の全会員に頒布された他、日本紹介の資料としての活用を期待し日本の在外公館へも相当部数寄贈された その後協議会は1962年に10周年を迎え、総覧の改訂版刊行の話は出たものの、まずは専門図書館の実務に役立つガイドブックの編集に力を注ぎ、1965年に『資料管理ガイドブック』をダイヤモンド社から刊行した。アジア財団からは協議会が1959年に刊行した『日本統計総索引』への資金援助はあったが、総覧についての資金の目途はたっていなかった。しかし国際図書館連盟などで専門図書館の国際的なディレクトリー作成の機運が高まり、国際協力の一環として日本の専門図書館ディレクトリー作成が要請されるようになっていた。ガイドブックの編集委員長であった電力中央研究所の増井健吉は、国立国会図書館連絡部長となっていた酒井悌から総覧改訂版の編集を依頼され、独立採算で費用を賄う計画で編集に取り掛かった。こうして1969年に『専門情報機関総覧』と改題した総覧改訂版が刊行され、その後およそ3年ごとに内容を充実させて、改訂版が刊行され続けている。
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刊行経緯
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()内は文庫版。 『魔界行 〈第1次復讐編〉(ノン・ノベル)』祥伝社、1985年3月。ISBN 4396201869。(『魔界行 〈復讐編〉(ノン・ポシェット)』祥伝社、1992年7月。ISBN 4396322666。) 『魔界行 〈2〉殺戮編(ノン・ノベル)』祥伝社、1985年7月。ISBN 4396201893。(『魔界行 〈殺戮編〉(ノン・ポシェット)』祥伝社、1992年8月。ISBN 439632278X。) 『魔界行 〈3〉淫獄編(ノン・ノベル)』祥伝社、1985年12月。ISBN 4396202008。(『魔界行 〈淫獄編〉(ノン・ポシェット)』祥伝社、1992年10月。ISBN 4396322836。) 『魔界行 完全版(ノン・ノベル)』祥伝社、2005年8月。ISBN 4396208014。
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刊行経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 16:38 UTC 版)
明治9年に完成した後、内務省に蔵せられて閲覧に不便であったため、大正11年に公刊する計画が建てられた。磯部甲陽堂が刊行の準備をしていたが、印刷途中の同12年9月に関東大震災が起こり、その災禍で草稿から清書本に至る原本(内務省本)は4冊を残し、その他上述『式社崇敬社調書』や『大小神社取調書』を始め関係書類の全てを焼失した。幸いに甲陽堂の堂主が校了した580頁の紙型を携えて避難しており、印刷に回されていた原稿も行李に入ったまま回収されたため、それらを基に当時の内務省嘱託太田亮(おおた あきら)を監督に校正し、原本との対校は不可能であったが、「神社明細帳」を参考に大正当時における所在地と社格を付記して刊行された。なお、凡例によれば、原本には国史見在社の記載もあったようであるが、現刊本中には見えない。
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