刊行開始から完結まで
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「谷崎潤一郎訳源氏物語」の記事における「刊行開始から完結まで」の解説
本書の刊行開始の際には中央公論社による大々的な宣伝活動が行われ、鏑木清方による発売記念ポスターも作成された。さらには東京と大阪において以下のような出版記念講演会が開催されている。 1939年(昭和14年)1月24日に日比谷野外音楽堂において、谷崎、山田孝雄、池田亀鑑、小島政二郎、横光利一、谷川徹三、今井邦子、吉川英治、嶋中雄作の9名が講演を行った。 1939年(昭和14年)2月に大阪において、谷崎潤、谷川、小島、森田たま、舟橋聖一、島木健作、嶋中雄作の7名が講演を行った。 この旧訳は、当初は毎月2冊ずつ配本し、全13回の配本で1939年(昭和14年)1月の完結を予定していたが、第1回配本後多くの追加注文が殺到したため追加注文分の用紙の確保や印刷に手間取り、その結果第2回の配本は当初予定していた1939年(昭和14年)2月ではなく2か月遅れの1939年(昭和14年)4月になり、第3回の配本も第2回配本の2か月後である1939年(昭和14年)6月になった。それ以後も「時局の進展と緊迫につれて種々なる社会情勢の変化に遭ひ、人力や機械力や資材などの上にも思はぬ障害が起こってきたりして」刊行は遅れることになったものの、長いときでも2・3か月の間隔で刊行され、2年半がかりで1941年(昭和16年)4月に脱稿、同年7月に最終巻が刊行され全26巻が完結した。最終巻の刊行を急ぐために、『源氏物語和歌講義』の上下巻までは谷崎自身が執筆したものの、最終巻の「源氏物語系図」「同年立」および「同梗概」については中央公論社社員の相沢正が『湖月抄』や『すみれ草』などをもとに作成したものとなった。 配本と巻立 第1回配本 1939年(昭和14年)1月23日巻1 第01帖 桐壺、第02帖 帚木、第03帖 空蝉 巻2 第04帖 夕顔、第05帖 若紫 第2回配本 1939年(昭和14年)4月巻3 第06帖 末摘花、第07帖 紅葉賀、第08帖 花宴 巻4 第09帖 葵、第10帖 賢木、第11帖 花散里 第3回配本 1939年(昭和14年)6月巻5 第12帖 須磨、第13帖 明石 巻6 第14帖 澪標、第15帖 蓬生、第16帖 関屋 第4回配本 1939年(昭和14年)7月巻7 第17帖 絵合、第18帖 松風、第19帖 薄雲 巻8 第20帖 槿、第21帖 乙女 第5回配本 1939年(昭和14年)8月巻9 第22帖 玉鬘、第23帖 初音、第24帖 胡蝶 巻10 第25帖 蛍、第26帖 常夏、第27帖 篝火、第28帖 野分、第29帖 行幸 第6回配本 1939年(昭和14年)10月巻11 第30帖 藤袴、第31帖 真木柱、第32帖 梅枝、第33帖 藤裏葉 巻12 第34帖 若菜上 第7回配本 1939年(昭和14年)12月20日巻13 第35帖 若菜下 巻14 第36帖 柏木、第37帖 横笛、第38帖 鈴虫 第8回配本 1940年(昭和15年)3月巻15 第39帖 夕霧 巻16 第40帖 御法、第41帖 幻、雲隠、第42帖 匂宮、第43帖 紅梅、第44帖 竹河 第9回配本 1940年(昭和15年)6月巻17 第45帖 橋姫、第46帖 椎本 巻18 第47帖 総角、第48帖 早蕨 第10回配本 1940年(昭和15年)9月巻19 第49帖 寄生 巻20 第50帖 東屋 第11回配本 1940年(昭和15年)12月巻21 第51帖 浮舟 巻22 第52帖 蜻蛉 第12回配本 1941年(昭和16年)4月25日巻23 第53帖 手習、第54帖 夢浮橋 巻24 源氏物語和歌講義 上巻 第13回配本 1941年(昭和16年)7月25日巻25 源氏物語和歌講義 下巻 巻26 源氏物語系図、同年立、同梗概、奥書
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