冷戦と日韓基本条約
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「在日韓国・朝鮮人の歴史」の記事における「冷戦と日韓基本条約」の解説
60年安保闘争を経て、1964年の新幹線開業、東京オリンピックも成功させるなど高度経済成長は軌道に乗り、日本社会は戦後の混乱から落ち着きを取り戻していた。アメリカは1961年からベトナム戦争への介入を開始、冷戦は1962年のキューバ危機で最高潮に達し、その後米ソは対話路線に移行する。 一方、東アジアでは中ソ対立が鮮明になり、中華民国との対立から東京オリンピックに参加していなかった中華人民共和国は、オリンピック開催中の1964年10月16日に核実験を成功させ文化大革命に突入、北朝鮮は中ソ間を行き来するも援助額は減少し先細りになっていく。1961年、韓国では5・16軍事クーデターにより朴正煕が権力を掌握し民団も支持、しかし第一次経済開発五カ年計画を推進するも1964年には行き詰まり、その打破を目指して1965年2月からベトナム戦争に参戦、同年10月には主力部隊5万人をベトナムに派遣する。 1965年6月、日本が韓国を朝鮮半島唯一の国家として承認する「日韓基本条約」および在日韓国人の法的地位について定めた「日韓法的地位協定」などの付随協約が結ばれ、韓国籍申請者にはそれまで暫定的に与えられていた在留資格よりも優遇された「協定永住」資格が与えられ、永住が法的に保証された。 条約批准書交換に際し朴正煕韓国大統領は談話を発表し、この中で在日同胞の苦労の原因を韓国政府の責任とし、それまで在日同胞の一部が共産主義に駆り立てられ加担するようになったことも大部分韓国政府が十分保護できなかった責任であるとした。さらに、朝鮮総連系に加担した者たちの過去の行為を不問に付すとともに、韓国政府による在日同胞の安全と自由についてより積極的に努力し可能な最大限の保護を行うことを約束、また、これまで分別なく故国を捨て日本に密入国を試み抑留され祖国のあるべき国民になれなかった者に対しても、新しい韓国民として前非を問わない姿勢を示し、再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望した。 韓国は民団を通じ朝鮮籍から有利な「協定永住」資格が得られる韓国籍への書き換えを強力に推進、1966年には民団側も日本全国への韓国領事館の設立支援を決議し、1971年1月の申請締め切りまでに350,922人が韓国籍を取得するなど民団は大きく勢力を伸ばした。この国籍欄書き換えをめぐって、推進する民団とこれを阻止しようとする朝鮮総連の幹部が、大阪市生野区役所などで激突する事態も発生した。一方北朝鮮は、日本との国交樹立は「二つの朝鮮」「分断の固定化」につながるとして日朝国交樹立に強く反対したため、北朝鮮を支持する在日朝鮮人の法的地位は変わらなかった。 朝鮮半島では1968年1月の青瓦台襲撃未遂事件、プエブロ号事件、翌年にかけての韓国東海岸への武装ゲリラ侵入事件など北朝鮮が南北統一とベトナム派兵の後方撹乱を目的として対南工作を活発化し南北関係が悪化、その後ベトナム戦争の行き詰まりや中ソ対立を背景にデタントの一環として1970年7月に在韓米軍の削減が発表され、米中が接近し始める。一方、緊張緩和により東西対立最前線としての存在価値を失うことを恐れた南北間では、1971年4月には北朝鮮が統一会談を提案、1972年7月4日には南北共同声明が出されるなど一時融和も見られた。 しかし韓国は維新体制に移行して国内統制を強め、その後の日本が舞台になった1973年の金大中事件や在日韓国人による1974年の文世光事件は南北関係の悪化のほか、日韓関係にも大きな影響をもたらした。日本ではベ平連や70年安保闘争、「戦争を知らない子供たち」の流行など反戦運動の盛り上がりや金大中事件などを通じて反軍事政権の機運が高まっていった。 日本も経済的にはベトナム戦争の恩恵を受けており、また国際勝共連合など反共主義運動も自民党を巻き込んで展開されていたが、「進歩的文化人」や教育現場を中心に共産主義に共感する風潮が高まり革新自治体が続出、公害病や同和問題などの社会問題の解決を求める声も大きくなっていく。1967年の在日朝鮮人の脱税容疑に関連する強制捜査に端を発し、在日民族団体を通じた所得税や事業税、住民税などの減免が行われ始めたとされる。 詳細は「在日特権」を参照 朝銀信用組合(朝銀)や商銀信用組合(商銀)といった民族系信用組合が日本全国に次々設立され、在日朝鮮人による商工会、朝銀、朝鮮総連を通じた「祖国への貢献」も始まった。1968年からの北朝鮮への帰還事業の一時中断、1968年の金嬉老事件、1970年の日立就職差別事件などを経て、1975年には坂中英徳が「坂中論文」で帰国ではなく日本定住を前提にした法的地位や国籍問題の解決を提唱するなど、日本社会も在日社会も「併合時代の遺物としての在日」から日本の定住者への脱却の道を模索し始める。
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