冷戦と植民地戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 00:56 UTC 版)
第二次世界大戦後、ポルトガルは北大西洋条約機構に設立当初から参加し、潜水艦3隻、フリゲート7隻、哨戒艇4隻、掃海艇16隻、調査艦艇3隻を購入した。 アントニオ・サラザールの独裁政権は広大な植民地帝国の維持を目標としていたが、世界的な脱植民地化の流れを受けてこの方針は挑戦を受けた。1961年にゴアが独立したインドに接収され、また同年のアンゴラでの蜂起以来、アフリカ各地の植民地で独立闘争が開始され、いわゆるポルトガル植民地戦争(pt:Guerra Colonial Portuguesa)の時代に突入する。冷戦は東西勢力による軋轢を世界各地で拡大させつつあった。アフリカ大陸も角逐の場として植民地主義との闘争が激化していた。 最後の植民地帝国としてポルトガルは既得権益を守るために、乏しい資源を工面し植民地での戦いに対応して、哨戒艇や上陸用舟艇および支援艦艇を大規模に整備した。この戦争はポルトガル海軍にとり本格的な強襲揚陸や水陸両用戦および船団護衛を経験することになる。 しかし、長期に渡る戦争は軍内に反独裁志向を芽生えさせ、1974年には陸軍のクーデターで独裁政権は崩壊した(カーネーション革命)。新政権は植民地の独立を承認し、1975年に戦争は終結した。ヨーロッパ共同体への参入を目指す新方針により、ポルトガル海軍はほぼ500年ぶりにヨーロッパでの活動に転換した。そこではソビエト連邦海軍の脅威と立ち向かう事になる。
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