入れ替わり演出
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少年と少女が入れ替わるという設定は「とりかへばや物語」やサトウハチローの「あべこべ玉」、『へんしん!ポンポコ玉』など以前からあるが、本作以降の設定を持つ作品は『転校生』を例えとして語られることが多い。これ以降、映画は勿論、NHK・民放のテレビドラマやVシネマに至るまで、『転校生』の要素をいいとこ取りしながら何度も繰り返し映像化がなされた。また劇化されて舞台にもなり、漫画化もされ、韓国でも映画化もされた。「大林は韓国でも有名」とクァク・ジェヨンが話していたという。2007年のTBSドラマ『パパとムスメの7日間』は、"平成版・転校生"ともいわれ、劇中パパとムスメが『転校生』を参考に神社の階段から転げ落ちて入れ替わりを元に戻そうとして失敗、パパ役の舘ひろしが「映画では上手くいったのに」と話すシーンがある。『パパとムスメの7日間』の原作者・五十嵐貴久は、同作が『転校生』から大きな影響を受けたことを話しており、「最も参考にした。『転校生』は入れ替わりモノのバイブル的な映画。ちょっと勝てない」などと話している。2014年のNHKドラマ『さよなら私』は、"熟女版「転校生」""不倫ドラマ版「転校生」"などといわれ、神社の階段から転げ落ちて主人公の二人が入れ替わるというシチュエーションも使われ、本作のラストのセリフがドラマタイトルになっており、他に尾美としのりが出演するなど『転校生』へのオマージュを感じさせる。山中恒の原作『おれがあいつであいつがおれで』では「さよなら、あたし」という台詞は使われておらず、また入れ替わりのシチュエーションも、男の子が脅かしてやろうと女の子に体当たりして入れ替わるという割に簡単なもので、神社の階段から転げ落ちて入れ替わるというシチュエーションや先の台詞は『転校生』がオリジナルである。2021年1月~3月の綾瀬はるか主演TBSドラマ『天国と地獄〜サイコな2人〜』でも、入れ替わりに"階段落ち"が使われたことで『転校生』がまたクローズアップされ、入れ替わり演出の歴史等の考察も行われた。荒井清和は「階段から転がり落ちたら入れ替わるというのは王道、様式美みたいなもの」と論じ、『天国と地獄〜サイコな2人〜』の脚本家・森下佳子は「階段から男女ふたりが転がり落ちて、入れ替わってない方が野暮でしょ」と述べている。多くの人の口から入れ替わり演出といえば、まず『転校生』が挙げられることから、『転校生』が元祖的作品といえ、入れ替わる切っ掛けに"階段落ち"が採用される作品は、『転校生』へのリスペクトといえる。 特筆されるのが男女の入れ替わり演出。主人公の男女が全編ほぼ入れ替わり、それぞれの俳優に入れ替わる側の人格を演じさせた。こうした演出法は『転校生』以前からあったが、『映画芸術』1982年4~6月号(No341)のクリエーターや映画評論家の対談で以下のような記述が見られることから、『転校生』以前の映像作品は認識されていないものと考えられる。『映画芸術』1982年4~6月号で、小川徹、相米慎二、かわなかのぶひろ、池田敏春、飯島哲夫が参加して「映評座談会 日本映画を裁断各個撃破せよ!」と題された辛口の映画評論が行われた。この中で『転校生』の批評のタイトルは「原点に立ちもどり利いたワン・アイデア」で、座談会では、小川徹「初めから驚いた。男と女を取りかえのアイデア。最後までうまくダマせるか、成立するかと、途中で心配したよ。これは男なのか女なのか、途中で分からなくなりました」、飯島哲夫「結局あのワンアイデアで、どこまで引っ張っていけるか」、小川「ワンアイデアっていうか二人だけのシーンで持ってるわけだから、他だったら何かいろいろ事件起こさなきゃいけないところを二人だけのシーンで颯爽と突っ切ってる」、相米慎二「そっち(他を)を切っちゃったことがいいんですよね」、かわなかのぶひろ「もともと男と女が入れかわるなんて話を映画で描いたらチャチになりますよね、これが出来たのは役者の力じゃないですかね。俳優の役作りがよくできているからあの荒唐無稽な話がリリカルな話に仕上がっている」などの批評がなされた。この男女の入れ替わり演出を"ワン・アイデア"と表現されているのは、この座談会に参加した錚々たる映像作家や映画評論家が、この演出法を初めて見た驚きを意味するものと見られる。今日、俳優が入れ替わった人格を演じることに見慣れているため違和感を持つ人もいないが、『転校生』を初めて観た人は「途中でどちらか分からなくなった」「ワンアイデア」といった感想を持ったのである。 "男女入れ替わり"の演出法は当時は前例もないため、本作の制作過程では、ぬいぐるみを着せるか、声だけ吹き替えるかなど、今日では考えもしない驚きの意見が色々出されたという。尾美としのりの父親役で出演した佐藤允は、大林から「男と女が入れ替わる映画です」と言われたため、「それは特撮でやるんですか」と聞いたと話している。大林は前作『ねらわれた学園』に続きSFXを駆使して女装させた尾美に特殊メイクでニセの乳房をつけさせようとした。「でなきゃ、男の子と女の子は入れ替わりません。演じる俳優さんが入れ替わるったって、役柄を取り替えただけ。画面に映ってるのは同じ男の子と女の子であることに変わらない。これじゃ面白いわけがない。映画とは画面に映っちゃう分、不便なものです。受け手の想像力に頼り得ない。これは映画化不可能な原作ではないか」と大林は思っていたという。山中からも「こんなものを映画化しようなんて考える奴はバカ」と言われた。しかし「不可能なことを実現すれば、映画の新発見になる」と挑んだ。尾美が女装を頑なに抵抗したことと、小林が女優魂を見せて脱ぐのを承諾したことで、この形が"入れ替わり"演出のスタンダードとなったという見方もある。小林と尾美、二人の演技力なくして、語り継がれる映画になることはなかった。当時はまだ男性は男らしく、女性はおしとやか、というのが当たり前の時代だったので、メソメソする尾美をがさつな小林が叱咤する、そんな男女逆転ぶりの面白さが映画にはあった。 後述のエピソード節の話と被るが1981年末、1982年始めの映画誌に以下の記事が載り、テレビ局主導の映画製作が普通になった今日では考えられないような記述を含む。「日本テレビ(NTV)が映画会社と提携して本格的に映画製作に進出することになり、(1981年)11月19日に赤坂プリンスホテルでNTVスポーツ教養局局長・後藤達彦、セントラルアーツ・黒澤満社長、多賀英典・キティ・フィルム社長、ATG・佐々木史朗社長らが出席して記者会見が行われた。後藤より、日本テレビはかつて『映画ベルサイユのばら』や『象物語』で製作に参加したことがあるが、今回は、単発ではなく継続して映画を製作するという発表です。日本映画界で、若い力を育てているセントラルアーツ、キティ、ATGの3社と、テレビでは作れないものを作っていきたい。テレビという大資本がヅカヅカ映画界に入り込むのではなく、低予算のものを作り、儲かれば配給収入を少し分けていただこうという考えです。製作費は4000万~1億円ぐらいを出資し、3社の作品を年間各1本製作を予定しています。またメジャー映画会社との提携も行う予定です」等の説明があった。テレビ局の映画製作となれば、当然テレビ放映が前提となり、当時は映画公開からテレビ放映の期間がデリケートな問題だったため、報道陣からこれに関する質問が出たが、「ある程度間隔を置いて」という回答に留まった。既に第1回作品として製作費8000万円で『転校生』を完成させており、その全額に近い資金を日本テレビが負担していると説明があった。引き続き、大林宣彦、尾美としのり、小林聡美が列席し、『転校生』の作品説明が行われ、入れ替わり物が重要なコンテンツとなっている今日では言わないような「『転校生』は少年と少女のからだが入れ替ってしまうという奇想天外な物語で相手の性を自分のものとして理解していこうとする初恋純愛物語である」との説明があった。大林は本作を「自分のための原作だった」と熱い思い入れの独演会を行った。『転校生』に続く第二弾は村上龍原作・相米慎二監督の企画がキティ・フィルムから提出されていたが、日本テレビが難色を示し、代わりに赤川次郎の小説が映画化される予定で、目下、田中陽造がシナリオを執筆中と説明があった。 今上天皇はこの作品を自らの好きな映画作品に挙げ「ですから《転校生》のヴィデオを見始めると、ついつい徹夜して寝不足になって了います」と大林に語ったことがある。 2012年12月、アメリカ・ニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された日本映画特集「アートシアターギルドと日本のアンダーグラウンド映画 1960〜1984年」に大林が招かれ、本作を含む大林作品がオープニング上映された
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