熟女
熟女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:52 UTC 版)
意図的に熟女を主演とし、それを押し出して発表された作品の嚆矢は1990年6月、「ババァー! こんな私でもAVでれますか?』(マスカット)である。もちろん一般的にAVでは若く清楚な女優が好まれるが、「夢工房シーオーエルディディー」の芳賀栄太郎とADの中野貴雄はそこに斬り込み、56歳の浜野弘子を主演とした熟女物を制作した。ボディーサイズはB104、W115、H130、下ぶくれの顔で、どう見ても美人ではない。だがこの作品は、当時「キワモノ」が流行していたこと、週刊誌で取りあげられたことなどにより700本以上を売り上げた。これはAVメーカーにとって十分に利益のある数字である。 なおきっかけは、「会社によく来るヤクルトおばさんや保険の勧誘員をAVに使えないか?」というアイディアからだった。また、熟女女優をマネジメントしているプロダクションなどはもちろん皆無であり、「歌舞伎町の大久保公園(当時、売春のメッカであった)で500円でフェラチオしてくれるおばちゃんたち」の中から、一番若い人を連れてきたということであった。この衝撃的な作品はFOCUS、FLASHで撮影現場が公開されたが、藤木によれば女優の演技がよくなく、作品としてはいまひとつであったそうだ。ただしこれは嚆矢であるが、ブームを作ったものではなく、いわばキワモノである。 本格的なヒット作はこの直後に発売された、東美由紀の母親である浅野ともこ主演の『おふくろさんよ!』である。元松竹歌劇団団員である彼女は当時48歳ながらB95、W58、H92、Fカップという見事なボディーを持ち、内容は母と息子の近親相姦ものであった。全体的な雰囲気は古くさいピンク映画といった趣であったというが、淫乱ともまたひと味異なる、成熟した女性ならではのパフォーマンスを発揮していた。この作品は評論家たちには賛否両論であったらしいが、4,000本を売るヒットとなった。制作者の芳賀にも予想外の数字で、大いに驚いたという。ただし続編についてはやはり女優のアテが無く、保険の外交員に、ギャラと保険加入を条件に出演してもらうということを5作目くらいまで続けざるを得なかった。 その後、このジャンルにも各社の参入が相次いだ。なお、この当時の熟女女優は先述の保険の外交員も含め、専門のAV女優に比べて非常にギャラが安く、1,000本程度も売れれば簡単に黒字となった。また、AVでの熟女ブームを確立した人物として、監督の海山輝一が挙げられる。海山は『おふくろさんよ!』のビッグモーカルに参入、30代の知的で清潔な美人妻というコンセプトで94年より『マダム倶楽部』シリーズを発表、各作品が1,000 - 2,000本を売るヒットを記録する。そしてその後の『貴婦人画報』も含め、「美熟女』という概念を確立した。 藤木(2011)はこの熟女というジャンルが地位を確立した原因を、一般のヘア・ヌードブームにある可能性が有ると分析する。例えば日本ヘア・ヌード写真集の元祖ともいえる島田陽子も、辺見マリも山本リンダも四十路を過ぎた見まごうことなき「熟女」だったのである。藤木AVが先か、ヘアヌード写真集が先かは厳密にはわからないとしているが、いずれにせよ90年代より、熟女ブームが世間に定着したことは確かである。 2011年現在は熟女ものには一定のシェアがあり、必要であればプロダクションからの紹介も期待できるほか、熟女専門のAV女優プロダクションもあるという。なお2011年に至っては熟女ものは最早キワモノでも隙間産業でも無く、品質が求められる時代となっている。また、熟女ものの特徴として、作品の旬が長いといったことがある。若い女優を起用した作品は3ヵ月程度で売れなくなるが、熟女ものは1年単位、1999年に発売された『お茶を摘む田舎のお母さん』(ルビー)が2011年に至っても売れ続けるうえ、作品によってはVHSでの供給が行われるなど、他のジャンルとは一線を画するものがある。
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