おふくろさん
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おふくろさん
おふくろさん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/19 21:23 UTC 版)
「おふくろさん」 | ||||
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森進一 の シングル | ||||
初出アルバム『旅路』 | ||||
B面 | 小鳥と少年 | |||
リリース | ||||
ジャンル | 演歌 | |||
時間 | ||||
レーベル | ビクター | |||
作詞・作曲 |
川内康範(作詞) 猪俣公章(作曲) | |||
ゴールドディスク | ||||
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チャート最高順位 | ||||
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森進一 シングル 年表 | ||||
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『おふくろさん』は、1971年5月5日に発売された森進一の20枚目のシングル。
解説
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収録曲
- 両楽曲共に、作詞:川内康範
歌碑
その他
- 元々アルバム収録曲であったが、アメリカ公演で歌った際に日本人客がみな涙するのを見た関係者が、これに手応えを感じてシングルカットした。
- 1997年に富士写真フイルムのレンズ付きフィルム「写ルンです」のCMソングとして使用された[3]。
- 美空ひばり・五木ひろし・藤圭子・天童よしみ・鳥羽一郎・シャ乱Q・globeらに歌われている。「おふくろさん騒動」が発生していた2007年3月には吉幾三が新曲「ありがとうを言いたくて」の会見で歌いたいと宣言した[4]。
- NHK紅白歌合戦では8回披露された。
- コンサートなどで披露されていた、保富康午補作の改変版に川内が激怒し、森の対応の不手際もあって両者の関係が断絶。2007年、「おふくろさん騒動」としてマスコミを騒がせた。結局、関係が修復しないまま、翌年に川内が死去。森は本曲を封印せざるを得ない状況に陥ったが、後に川内の長男である飯沼春樹の許可を得て、2008年11月よりオリジナル版の歌唱が可能となった[5]。→「おふくろさん騒動」も参照
脚注
- ^ 川内康範『おふくろさんよ 語り継ぎたい日本人のこころ』、2007年12月20日 マガジンハウス刊 ISBN 9784838718306
- ^ 『おふくろさん』歌碑除幕式と記念コンサート行われる森進一公式ウェブサイト
- ^ フジフイルム CMギャラリー[リンク切れ]
- ^ 吉幾三「おふくろさん歌わせて」、スポニチ Sponichi Annex、2007年3月2日付。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ ““正義の味方”川内康範さんが死去”. 日刊スポーツ (2008年4月8日). 2023年10月17日閲覧。
関連項目
おふくろさん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:39 UTC 版)
ベイサイド署の女署長。部下たちからは母親のように慕われているが、仕事になると厳しい。若い頃から弾の父親に惚れており、ギター弾き語りのテープを弾に内緒でダビングしている。弾を息子のようにしている。本名不明。
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