相米慎二監督とは? わかりやすく解説

相米慎二監督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 03:06 UTC 版)

薬師丸ひろ子」の記事における「相米慎二監督」の解説

相米慎二監督は『翔んだカップル』(1980年)で演技未熟な薬師丸たちが出来るようになるまで撮影時間を掛けてくれた。その時間の長さ相米監督愛情だったと薬師丸回顧している。監督気に入られるために、何回自転車で壁に突っ込むシーン挑んだ新人監督相米が辛い立場なのは薬師丸理解していて、そんな相米を怖いけれど兄のように慕う部分もあった。 薬師丸は『翔んだカップル』の相米監督との相性が非常に良かったので、次の映画『ねらわれた学園』)の大林宣彦監督現場慣れるのに時間掛かってしまった。これは「相米病」になっていたためと薬師丸説明している。 相米監督からは「小芝居をするな」、「手足足先まで力を入れろ」と言われた。「ゴミ」「クズ」「ガキ」と罵声浴びることもあった。通称しごき棒と言われるもので叩(たた)かれ突かれることもあったが、それは同時に監督から映画参加資格貰っているように薬師丸感じていた。薬師丸監督を鬼と思うこともなかったし、いざとなった監督を敵に回して戦う気概もあった。キャメラマン仙元誠三によれば相米監督薬師丸お互い理解し合う関係性ができていた。『セーラー服と機関銃』1981年)がヒットして普段感情を表に出さない相米監督が、大入り新宿映画館見て非常に喜んだ。そんな相米の姿を見て薬師丸嬉しくなった。 薬師丸相米監督最後に会ったのは、監督亡くなる前年2000年)の12月で、久しぶり相米組が集まった時だった。 『キネマ旬報』の相米慎二追悼特集2001年)で、実際には服を着ていても、生身の姿を人前さらけ出す覚悟カメラ前に立つには必要であること、演じることの厳しさ怖さ相米監督から教わった薬師丸話している。そして、あの時期があったからこそ、薬師丸女優続けられているとも述べている。 松本隆との対談の中で、薬師丸原点である『セーラー服と機関銃』相米死によって「思い出になってしまうことが悲しいと話した

※この「相米慎二監督」の解説は、「薬師丸ひろ子」の解説の一部です。
「相米慎二監督」を含む「薬師丸ひろ子」の記事については、「薬師丸ひろ子」の概要を参照ください。

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