相続に関して
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/13 16:30 UTC 版)
元々竹中家には、天明元年(1781年)3月5日に14歳で祖父・竹中元儔の跡を継承した厚之進(父:竹中元恭、母:竹中元儔養女(竹中元敏娘))がいた。その厚之進が将軍御目見前に早世し、お家断絶を防ぐため、池田家の隆之助が厚之進に成り代わったとみられている。そのため、『寛政重修諸家譜』では元智(重寛)の存在が池田家の系譜に記されておらず、また竹中家の系譜には重寛が養子であるとの記載はない。隆之助が成り代わった時期については明確ではないが、池田家の状況からみて天明元年(1781年)閏5月から天明2年(1782年)4月までの間とみられる。 なお、この内密での相続に関連し、既に幕府に提出されていた「隆之助」(明和2年(1765年)生まれで記載)としての丈夫届については、つじつまを合わせるために弟の池田方教に「隆之助」の通称を名乗らせ、方教はその丈夫届に伴って明和2年(1765年)生まれの扱いにされた。
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