メジャーデビューから活動停止までとは? わかりやすく解説

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メジャーデビューから活動停止まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 01:35 UTC 版)

中山ラビ」の記事における「メジャーデビューから活動停止まで」の解説

1972年12月ポリドールより、ファーストアルバム『私ってこんな』でメジャーデビューはっぴいえんど細野晴臣乱魔堂洪栄龍らがバックバンドとしてサポートした1976年1月から翌年春にかけて、ニッポン放送日曜日深夜番組真夜中スケッチ』でパーソナリティー務め注目される同年3月シングル「時よおやすみ」が向田邦子らの脚本によるTBSドラマ結婚前夜シリーズ」(全12回) の主題歌となる。続いて同年11月桃井かおり主演NHKドラマ小夜子の駅」のために「かえりたくって」を書き下ろし[リンク切れ]、一度中山の歌を耳にしたことがある人が急増する。またこの時期地道に各地ライブハウス活動する1981年9月29日30日渋谷ジァン・ジァンでのひとり芝居のために作曲した挿入歌を歌う。これを機に演劇舞踊など他分野とのコラボレーション取り組むうになる加藤和彦プロデュースの下に、アルバム制作はもちろん、斬新なステージイベント取り組む斉藤由貴主演相米慎二監督映画雪の断章 情熱』(1985年東宝)に「ノスタルジィ」が使われ新し世代への浸透期待された。 しかし、1987年最後にアルバム制作ライブ活動停止1988年以降は一旦完全に音楽活動停止する

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メジャーデビューから活動停止まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 22:44 UTC 版)

佐井好子」の記事における「メジャーデビューから活動停止まで」の解説

1974年楽曲ラジオ番組などのコンテスト応募したことがきっかけで、その直後依頼を受け、中山ラビコンサート前座をつとめるようになるステージ終了後オファー受けた2社のうちかテイチク契約する1975年5月大野雄二プロデュース編曲によるファーストアルバム萬花鏡』を録音同年8月25日リリースしてテイチクからデビュー。翌1976年には、シルクロードモチーフとしたセカンドアルバム密航』をリリース編曲クニ河内1977年テイチクから日本コロムビア移籍し夢野久作世界モチーフとしたアルバム胎児の夢』をリリース同年には詩集『青いガラス玉』(婦人生活社)を出版。また日活映画夢野久作の少女地獄』の主題歌コスモスファクトリー演奏担当した1978年にはインド旅行し日本コロムビアからの最後アルバムとなる『のすむ部屋』をリリース。全3作とは方向性変わりジャズピアニスト山本剛率い山本剛トリオバック迎えジャジーサウンドとなる。翌1979年音楽活動停止する

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