メジャーデビューから活動停止まで
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「中山ラビ」の記事における「メジャーデビューから活動停止まで」の解説
1972年12月にポリドールより、ファーストアルバム『私ってこんな』でメジャーデビュー。はっぴいえんどの細野晴臣、乱魔堂の洪栄龍らがバックバンドとしてサポートした。 1976年1月から翌年春にかけて、ニッポン放送の日曜日深夜番組『真夜中のスケッチ』でパーソナリティーを務め注目される。同年3月、シングル「時よおやすみ」が向田邦子らの脚本によるTBSドラマ「結婚前夜シリーズ」(全12回) の主題歌となる。続いて同年11月、桃井かおり主演のNHKドラマ「小夜子の駅」のために「かえりたくって」を書き下ろし[リンク切れ]、一度は中山の歌を耳にしたことがある人が急増する。またこの時期も地道に各地のライブハウスで活動する。 1981年9月29日〜30日、渋谷ジァン・ジァンでのひとり芝居のために作曲した挿入歌を歌う。これを機に、演劇や舞踊など他分野とのコラボレーションに取り組むようになる。加藤和彦のプロデュースの下に、アルバム制作はもちろん、斬新なステージやイベントに取り組む。斉藤由貴主演、相米慎二監督の映画『雪の断章 情熱』(1985年、東宝)に「ノスタルジィ」が使われ、新しい世代への浸透が期待された。 しかし、1987年を最後にアルバム制作とライブ活動を停止。1988年以降は一旦完全に音楽活動を停止する。
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メジャーデビューから活動停止まで
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「佐井好子」の記事における「メジャーデビューから活動停止まで」の解説
1974年に楽曲をラジオ番組などのコンテストに応募したことがきっかけで、その直後に依頼を受け、中山ラビのコンサートで前座をつとめるようになる。ステージ終了後にオファーを受けた2社のうちからテイチクと契約する。 1975年5月、大野雄二プロデュース・編曲によるファーストアルバム『萬花鏡』を録音、同年8月25日にリリースしてテイチクからデビュー。翌1976年には、シルクロードをモチーフとしたセカンドアルバム『密航』をリリース。編曲はクニ河内。 1977年、テイチクから日本コロムビアへ移籍し、夢野久作の世界をモチーフとしたアルバム『胎児の夢』をリリース。同年には詩集『青いガラス玉』(婦人生活社)を出版。また日活映画『夢野久作の少女地獄』の主題歌もコスモスファクトリーの演奏で担当した。 1978年にはインドへ旅行し、日本コロムビアからの最後のアルバムとなる『蝶のすむ部屋』をリリース。全3作とは方向性が変わり、ジャズピアニストの山本剛が率いる山本剛トリオをバックに迎えジャジーなサウンドとなる。翌1979年に音楽活動を停止する。
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