メジャーデビューから活動休止まで
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「THE CHAPPYS」の記事における「メジャーデビューから活動休止まで」の解説
1988年4月1日、彼らは(株)FUN HOUSE(現 BMG JAPAN)からアルバム「GO! GO! CHAPPYS/それゆけ!! チャッピーズ」、シングル「キスをさせてくれよ/ゼロの傷心」でメジャーデビューを果たす。「キスをさせてくれよ」は秋元康氏、「ゼロの傷心」は栃内淳氏による作詞である。同日、ラフォーレ原宿内にあるラフォーレミュージアム原宿においてデビューギグを行なう。5月にはオールナイトフジに出演。以後、森氏がレギュラー出演する番組内での演奏や、今では街でよく見かけるようになったラッピングトラックのようにトラックの車体全面に大きなポスターを貼り大音量で彼らの曲をかけながら走行してもらったり、駅構内に大きなポスターを掲示してもらうなどプロモーション活動も積極的に行なった。Winkや杉本彩氏、北岡夢子氏など彼らと同期のタレントと一緒に営業に回り、地方のテレビ番組やラジオ番組での収録などを行ない、渋谷区による環境問題イベントでの代々木公園内にある野外ステージでのギグ、広島フラワーフェスティバルや岡山のラジオライブなどに出演、都内の各ラジオ放送局では数えきれないほどに出演し、都内某所では楽器無しのパフォーマンスをするなど精力的に活動する。また、THE ROWDIES時代から行なっていた南部青年館でのフリーギグも継続して行なわれ、90年の前半まで続けられた。ファンクラブの運営では島田氏、大橋氏、高橋氏の3人のスタッフで「アンファンテリブル」という会報を作り、全国から届いた手紙やハガキなどを紙面の許す限り掲載するなどファンとの交流に尽力した。メンバーたちもファンレターに対してはTHE CHAPPYSのキャラクターであるチャッピー君のイラスト入りの便せんを作り、1日に数十通届くファンレターにメンバー1人1人が必ず直筆で返事を書いて送るなど、少しでも喜んでもらえるように、常にファン側の目線に立って行動していた。 1989年1月7日午前6時33分、昭和天皇が崩御され64年間続いた激動の時代と言われる昭和が終焉を迎える。国全体が喪に服す中、当然各界方面で予定されていたイベントなどは自粛中止となる。横浜音楽祭をはじめ、彼らの出演が決まっていた数々のイベントもそのすべてが中止され、デビューからわずか9ヶ月後に活動がストップ。以降、表立った活動が出来ない状態が1年間ほど続き、単発的にステージに立つことはあったがそのまま自然消滅的な流れで彼らの活動は休止する。それから22年後の2010年に一度限りの再結成をし、11月13日に中野MOON STEPで行なわれたギグがTHE CHAPPYSとしてのラストギグとなった。
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