メジャーデビュー〜バンドブームの盛衰とは? わかりやすく解説

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メジャーデビュー〜バンドブームの盛衰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 14:47 UTC 版)

筋肉少女帯」の記事における「メジャーデビュー〜バンドブームの盛衰」の解説

様々なメンバー加入と脱退繰り返す中で活動続け1988年6月トイズファクトリーよりアルバム仏陀L』・シングル釈迦』でメジャーデビュー (第18期メンバー)。しかし、その後メンバー定着することはなく、半年後に発売され2ndアルバム21期メンバー録音された。 1989年2月の三脱退を受け、橘高文彦加入本城聡章の復帰が「大槻ケンヂのオールナイトニッポン」にて発表される (第22期)。筋少オリジナル音源への参加先駆け、「オールナイトニッポン」の企画から派生したまんが道」(大槻内田による変名ユニット) の『ボヨヨンロック』において非公式ながら初のレコーディングその後、さらに同メンバー録音され3rdアルバム以降ついにメンバー定着し以後10年メンバー交代が行われることはなかった。 アルバム収録曲日本印度計画』が話題となり、続くシングル元祖高木ブー伝説』(『高木ブー伝説』のリメイク) が一躍大ヒット大槻オールナイトニッポンパーソナリティ務めたことも相まって一躍有名バンドへとのし上がっていく。「筋肉少女帯深夜改造計画」という看板TV番組まで持っていた。一方で、『ボヨヨンロック』、『日本印度計画』、『元祖高木ブー伝説』と笑い側面の強い曲が立て続けヒットしたこともあり、はからずも世間にはコミックバンドという認知俄かに定着しつつあった。大槻自身、この三作まとめて「ボヨヨン・カレー・ブー」=「B・C・B」と呼び、度々自虐的に当時の状況ネタにしている。 1990年2月7日には単独では初となる武道館LIVE以後1994年まで通算4度単独での武道館LIVE敢行する1992年発売ベストアルバム筋少の大車輪』には、かつてのメンバー一堂集結。新録音曲「大釈迦」が収録された。 バンドブーム去った1992年9月経営難となっていた所属事務所をやめ、翌1993年暮れにはトイズファクトリー契約打ち切られる。 バウワウなどを育てた上野義美氏の事務所契約し新たに動き出す1994年橘高が、翌1995年大槻ソロデビューするなど、メンバー各自での活動多くなっていった所属レコード会社1994年MCAビクター、さらに1996年マーキュリーミュージックエンタテインメントへと移籍

※この「メジャーデビュー〜バンドブームの盛衰」の解説は、「筋肉少女帯」の解説の一部です。
「メジャーデビュー〜バンドブームの盛衰」を含む「筋肉少女帯」の記事については、「筋肉少女帯」の概要を参照ください。

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