倶利伽羅峠
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倶利伽羅峠(くりからとうげ)は、富山県と石川県の境にある砺波山の峠である[1][2]。倶梨伽羅峠と表記することもある。
- ^ a b c d “木曽義仲の夜襲攻撃が見事にあたった「倶利伽羅峠の戦い」”. BEST TIMES (2017年5月4日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b c “倶利伽羅峠で源氏に負けた平家武将の話が切ない”. 東洋経済オンライン (2022年4月4日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b c “富山から石川への峠をめざして 旅行作家・下川裕治がたどる「奥の細道」旅13”. 朝日新聞デジタルマガジン & Travel (2021年2月17日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b c “源平戦った古戦場 旧北陸道倶利伽羅峠”. 中日新聞Web (2021年2月23日). 2021年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月22日閲覧。
- ^ “青木崇高さんと秋元才加さん、平家を破った倶利伽羅古戦場に…大河ドラマ出演中”. 読売新聞オンライン. (2022年4月28日). オリジナルの2022年5月17日時点におけるアーカイブ。 2022年9月22日閲覧。
- ^ “「鎌倉殿の13人」登場の木曽義仲はどこまで逃げた? 落人伝説探る”. 朝日新聞デジタル. (2022年5月1日). オリジナルの2022年5月1日時点におけるアーカイブ。 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b c d 『小矢部市史 -市政四十年史-』(2002年12月10日、小矢部市発行)231 - 232頁「国道八号倶利伽羅バイパス(トンネル)」より。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)84頁。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)92ページ。
- ^ 『新聞に見る90年 下』(1974年10月1日、北日本新聞社発行 881ページ。)
- ^ “御舘館跡・北国街道倶利伽羅峠道”. 石川県教育委員会文化財課 (2010年9月21日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第3巻』(2000年11月26日、北日本新聞社発行)256ページ。
- ^ 『トンネル換気システム「ジェットファン」生産累計2,000台を達成』(プレスリリース)パナソニック エコシステムズ、2022年3月14日 。2022年9月22日閲覧。
- ^ “パナソニックの「ジェットファン」、1968年の初号機から生産累計2000台達成”. Car Watch (2022年3月15日). 2022年9月22日閲覧。
- ^ a b c d e 『富山新聞』2019年6月25日付朝刊1面「倶利伽羅に新トンネル 国道8号 北陸地方整備局 ルート決定 拡幅の2本新設 安全性向上」(北國新聞社富山本社)より。
- ^ 倶利伽羅不動寺について
- 1 倶利伽羅峠とは
- 2 倶利伽羅峠の概要
- 3 周辺
倶利伽羅トンネル
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全長957m片側1車線のトンネルで、幅員8m、高さ6.3m。国道8号のくりからバイパスの一部となっている。くりからトンネルとも表記されている。 トンネル内では、石川・富山両県のラジオの再送信を実施している(隣接する小矢部バイパスの源平・小矢部両トンネルでも実施。ただし石川県側の津幡北バイパスの岩崎・倉見両トンネルでは石川県内のラジオ局のみ実施)。対象の放送局はNHKラジオ第1(金沢・富山)、NHKラジオ第2(金沢・富山)、NHK FM(金沢・富山)、北陸放送、北日本放送、エフエム石川、FMとやま。 開通当時としては長大なトンネルであったことから、防火設備として警報装置を4か所に設置されている。1968年には、交通量増大による排気ガス処理を目的とした換気装置(パナソニック製「ジェットファン」としての初号機)が設置された。 2015年度の1日当たりの交通量は約2万台。国道8号の新潟、富山、石川の県境区間では最も交通量が多い。
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