作品と作曲様式
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ユオンの作品は、歌劇やドイツ語リートのほか、4つの交響曲、3つのヴァイオリン協奏曲、三重協奏曲、3つのヴァイオリン・ソナタのほかに、ヴィオラ・ソナタ、チェロ・ソナタ、フルート・ソナタ、クラリネット・ソナタ、いくつかのピアノ三重奏曲とピアノ四重奏曲・ピアノ五重奏曲、ピアノ六重奏曲、4つの弦楽四重奏曲、木管五重奏曲、室内交響曲、シンフォニエッタがある。現在は器楽曲を中心に新しい録音が進められている。 パウル・ユオンは、チャイコフスキー伝やアレンスキー著の音楽理論をロシア語からドイツ語に翻訳し、19世紀末のロシア楽壇の教育水準の高さを国際的に認識させる上で貢献したが、ユオン自身はロシア音楽の伝統に従っているというよりも、ドイツ・ロマン派音楽の伝統の上に立っていた。ロシア音楽の影響は、さまざまな旋法と複雑なリズム語法を用いた点にかろうじて見出されるにすぎない。 ユオンはこんにち、ブラームスの《ハンガリー舞曲集》の編曲者の一人としてしか知られていないが、ユオンはこのようにブラームスの心酔者であり、この先人の堅牢で緻密な楽曲構成を発展させることに腐心した。小節線の規制に縛られずに、規則性をもって数学的にリズム組織を操作した点において、ボリス・ブラッヒャーの可変拍節法の先駆者と看做されている。 ユオンは旋律にさほど創意を示しておらず、複雑きわまる構成手法も手伝って、作品の性格はきわめて晦渋で、とりわけ短調作品においては屈折した印象がまぬかれない。
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作品と作曲様式
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「レベッカ・クラーク」の記事における「作品と作曲様式」の解説
クラーク作品の大部分がヴィオラを目立たせ、この楽器の表現力をうまく利用しているのは、クラークが職業演奏家として長年にわたって活躍したからである。クラーク作品のほとんどは、自分自身のために、あるいは彼女も所属していた女性演奏家のみの室内合奏団のために作曲されている(ノラ・クレンチ四重奏団、イングリッシュ・アンサンブル、ダラーニ姉妹など)。国際的な演奏旅行も行なっており、特にチェリストのメイ・マクレと共演することが多かった。クラークの作品は、20世紀音楽の様々な潮流に影響されている。クラークは当時の指導的な作曲家を知っており、中でもブロッホやラヴェルの作品と彼女の作品は比較されてきた。 もの憂いテクスチュアや近代的な和声法ゆえに、ドビュッシー流のフランス印象主義音楽とのつながりがしばしば論じられている。クラークの(ブロッホやヒンデミットと同年に出版された)《ヴィオラ・ソナタ》はとりわけ特徴的で、ペンタトニックの開始主題、分厚い和音、濃密な情感、緻密でリズム的に複雑なテクスチュアなどが認められる。《ヴィオラ・ソナタ》はこんにち、部分的にヴィオラ奏者の標準的な演目にとどまっている。《ヴィオラ・ソナタ》の前年に作曲された《眠りの神 Morpheus》は、最初の大掛かりな作品であり、これより先の10年間は、歌曲や小品ばかりが作曲された。クーリッジ夫人から賞金を受けた《チェロとピアノのための狂詩曲》は、クラークの最も野心的な作品の一つで、演奏時間にして約23分、複雑な楽想と、曖昧模糊とした調性感が、曲の気分の変化に寄与している。この作品の翌年に作曲された《真夏の月夜 Midsummer Moon》は、対照的に軽い小品で、空気の揺らめきのような独奏ヴァイオリンの旋律線が印象的である。 弦楽器のための作品に加えて、多くの歌曲も作曲している。初期作品のほとんどは、独唱とピアノのための作品である。ウィリアム・ブレイクの有名な詩に作曲した《虎 The Tiger》は、暗く欝々とした、ほとんど表現主義的な作品である。これは、既婚者のバリトン歌手ジョン・ゴスと激情で結ばれた時期に、5年がかりで、他の作品を除外してまで取り組んだ作品なのである。しかしながらたいていの歌曲は、本質的にむしろ軽い。クラークの初期作品はサロン音楽である。クラークは、もっぱら古典的なテクストを採用することを好み、ウィリアム・バトラー・イェイツやジョン・メイスフィールド、あるいは漢詩を使って歌曲を作曲した。 1939年から1942年まで、作曲活動が終焉を迎える最後の実り豊かな時期に、クラークの作曲様式は韜晦でなくなり、動機や調性が強調され、より明快で対位法的になり、新古典主義音楽の影響が歴然と現われるようになる。近年出版されたヴァイオリンとヴィオラ、ピアノのための《ドゥームカ Dumka》(1941年作曲)は、バルトークやマルティヌーらの東欧の民族音楽の影響が反映されている。クラーク自身が初演した、ヴィオラ独奏ないしはチェロ独奏とピアノのための《古いイングランドの旋律によるパッサカリア Passacaglia on an Old English Tune》(1941年作曲)は、トマス・タリス作曲と伝えられる旋律に基づき、これは作品を通して現われる。作品は旋法的な趣きがあり、主にドリア旋法によっているが、もの珍しいフリギア旋法にも傾いている。この曲は「BB」なる人物に献呈されているが、クラークの姪モードリンや研究者は、具体的に言うとこの頭文字はベンジャミン・ブリテンに言及しているのではないかと推測している。この頃ブリテンは、恩師フランク・ブリッジの追悼演奏会を準備しており、生前のブリッジは、クラークにとって友人であり、ヴィオラ奏者や作曲家として有力な先輩でもあった。《前奏曲、アレグロと牧歌 Prelude, Allegro, and Pastorale》もやはり1941年に完成された、もう一つの新古典主義的な作品であり、クラリネットとヴィオラのために作曲されている(もともとは弟夫婦のために作曲された作品である)。1940年代にレイフ・ヴォーン・ウィリアムズはクラークと親交を結び、彼女の作品を特集した演奏会でたびたび指揮することもあった。(ちなみにヴォーン・ウィリアムズとブリッジは、互いに作風は全く異なっていたが、ともにスタンフォード門下であり、当然クラークの兄弟子に当たる。) 女性の社会的役割――とりわけ自分自身――についてのクラークの見方は、大形式による作品を作曲しようとする野心と、折り合いが付いていなかった。クラークの作品は、ほとんどが、室内楽の小曲や歌曲である。周知のように、交響曲のような大規模作品が欠けており、その才能にもかかわらず、クラークは大規模作品を作曲しようとしなかった。しかしながら、いくつかの合唱曲は、大掛かりに構想されており、わけても《詩篇 第91番》や、シェリーの『ヘラ』による女声合唱のための作品がその代表である。両作品とも、死後出版を経て間もなく、2003年に録音された。 クラーク作品は長い間ひたすら忘れられていた。クラーク作品の復活は、1976年にラジオ放送局が、クラークの生誕90周年を記念したことに始まり、近年の研究活動、とりわけレベッカ・クラーク協会による活動によって、彼女の名はこのかた聴衆の意識に戻りかけている。クラーク作品の半数は今なお未出版のままであり、著作の大半と並んで相続人の個人蔵となっている。しかしながら2000年代初頭に、クラーク作品復活への関心はとどまることなく、いっそう多くの作品が録音され、復刻されたり新たに出版されるようになり、彼女の作品が身近になるような努力が続けられている。たとえば2002年には、2つの弦楽四重奏曲と、ヴィオラとピアノのための抒情的小品《眠りの神》が出版された。後者は、「アントニー・トレント Anthony Trent」という偽名を用いて、生前プログラムで本名を明かすのを避けた作品の一つである(「トレント」作品を褒めた評論家が、クラーク名義のその他の作品をひたすら無視したという逸話も残されている。)。
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