作品と人物
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「バリントン・J・ベイリー」の記事における「作品と人物」の解説
当初「ニューワールズ」で活動していたことから、ニュー・ウェーブ運動の影響を受けた、ポスト・ニューウェーブの作家と目され、「メタフィジカル・スペースオペラ」とも称される。実際にマイケル・ムアコックに親しく、ニューウェーブ系作家達の近くに住んでいた時期もあったが、ほとんど影響されなかったという。日本では「奇想SF」「バカSF」などの分類をされることも多い。 最初ジョン・カーネルが編集長をしていた『ニュー・ワールズ』に投稿していた頃はまったく採用されず、友人の名前のP. F. Woodsにより投稿したところ以後すべての作品が採用されたというが、ベイリー自身はそれらが初期の作品より出来がよかったんだろうと述べている。1970年代になってニューウェーブ以降の方向性としてアイデア重視を打ち出していたイアン・ワトスンらから評価され、ワトスンからは「形而上学的な思弁」を追求する作風を「SF界のボルヘス」と名付けられた。ムアコックもまたベイリーを高く評価しており、ムアコックが1974年に編集したアンソロジー『Best SF Stories from New Worlds 8』では収録10作のうちベイリーが4作を占めている。 ブルース・スターリングはベイリーを師と仰ぐとし、日本語版『時間衝突』に序文を寄せ、「ベイリーはサイエンス・フィクションの真実の魂の模範であり、完全無欠のお手本」とし、彼の『スキズマトリックス』はベイリーに多くを負っていると述べている。(創元推理文庫、1989年) 『禅銃』は1983年のフィリップ・K・ディック賞にノミネートされた。また『カエアンの聖衣』が1984年に、『禅銃』が1985年に、『時間衝突』が1990年に星雲賞海外長編部門を受賞。1996年に短篇「蟹は試してみなきゃいけない」A Crab Must Tryが英国SF協会賞短篇部門賞受賞、これが英語圏で初めての受賞となった。 『ロボットの魂』『光のロボット』は、自由意志を持つロボットのジャスペロダスの活躍する連作で、アイザック・アシモフの諸作とはまったく異なったスタイルのロボットSFとして注目される。 1979年に出た短編集The Seed of Evilでは、出版元のアリスン&バズビー社から印税が支払われず、裁判となった。
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作品と人物
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「コンスタンティン・ブランクーシ」の記事における「作品と人物」の解説
非常に要素を切り詰めた一見してミニマルな作風を持つ。また、彫刻などが置かれる台座も作品として一緒に制作する。ブランクーシの作品は抽象化が進み、代表作である『新生児』や『空間の鳥』では、幼児の頭部や飛ぼうとする鳥がほとんど単純な卵形やプロペラ型の形態にまで至っている。ただし彼の作品は、描写の対象物の本質を捉え、それを効果的に単純な形態に写すものであり、対象物の形態から完全に離れてしまうものではない。 このような単純化のため、1926年に作品販売のため『空間の鳥』をアメリカ合衆国に輸出した際、税関で美術品とみなされずに工業製品とみなされてしまい高い関税を課せられてしまったため、購入者と税関が裁判で争い、購入者が最終的に勝訴する事件が起こっている。 ブランクーシの独創的な作品は、後の現代彫刻、絵画、デザインなどへ、多大なる影響を与えた。特に代表作でもある『無限柱』シリーズは、単純なユニットの反復により構成され、本人が友人のマン・レイに語ったところでは、どこで切断しても無限の柱としての特性を失わないものとされる。この思想はカール・アンドレなどのミニマル・アートへ強い影響を与えた。 ブランクーシは朴訥な人柄で様々なアーティストから慕われ、マルセル・デュシャンやマン・レイとも親交があった。デュシャンは、ニューヨークでブランクーシの作品を売買することで生活していた時期もあった。マン・レイから写真術を教わったブランクーシは自分のアトリエ内に暗室をつくり、自らの作品を写真に記録することに熱中したこともあった。またイサム・ノグチはパリでブランクーシの助手となることで抽象彫刻家としてのキャリアに方向性を見出した。 著名な言葉で、“create like god, command like king, work like slave”「神のように創造し、王のように指揮を執り、奴隷のように働け」を残している。 1991年から1994年まで発行された500レイ紙幣に肖像が使用されていた。
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